旅を歩く

街道を歩いた記録です。興味ある方はご参考に。

第10回 中山道 美濃路 中津川から鵜沼まで

 2019年12月に日本橋を出発して中山道を少しづつ歩いています。今回は岐阜県中津川宿から鵜沼宿各務原市)まで2泊3日で歩きました。桜は散ってしまいましたが、桜草、芝桜、ツツジ、藤 等々 沿道の方々が丁寧に育てていてちょうど見ごろでした。

 途中 恵那から御嵩(ミタケ)間の十三峠道 35kmは旧道がきれいに保存されていて中山道の中でもベスト区間と思います。ただし、線路や幹線道路から離れるので途中でギブアップしたくても離脱ができません。準備と気合が必要です。

 

1日目 中津川から恵那へ

 この日は12kmしか歩かないので、中津川駅にはゆっくりと11時半に到着。駅前で昼食を済ませて出発しました。

 中津川宿です。どこの宿場町も保存の努力はされていて、雰囲気は残っています。

 岐阜県内では、この白と黄色の石を混ぜ込んだ舗装が中山道に使われています。もちろん100%徹底はされていません。それでも助かります。

 甚平坂から眺めた御嶽山です。地元の老人によるとここから噴火(2014年のことと思う)も見えたとのこと。

 大井宿は恵那市のほぼ中心にあります。本陣(大名の宿舎)が残っていました。

 夕方3時半には恵那に到着。この日は12000歩 約13kmでした。

 

 2日目 恵那から御嵩(ミタケ) 十三峠道を歩く。

 今日は40km近く歩くことになります。朝6時にホテルを出発。早朝は気持ちよく歩けますが、午後になると暑い。市街地を抜けると山道に入ります。この区間は道標があるので道に迷う心配はありません。

 十三峠道の入り口です。掲示には「ここから先は売店等は無いので準備をして歩いてください」と書いてあります。駅もありませんし、バス停はあっても便数が非常に少ない。離脱は事実上できないので歩き切る必要があります。高低差も結構あるので、中級者向きでしょう。

 西行塚です。北面の武士の立場も妻子も捨てて出家して旅に出た和歌の天才、西行の墓と言われています。最晩年の西行はこの地が気に入って、死んだらここに葬ってくれと村人に言い残して亡くなったとの伝説があります。今は木が大きくなってしまって景色は見えませんが、昔はこの高台から御嶽山や恵那山が見えたはずです。

 一里塚です。土を盛って作った塚です。

 本来は路の両側にあったそうです。一里塚として保存されている塚はこれまでもあちこちで見てきました。しかし、ほとんどは片側だけでした。本来の姿で保存されている道は貴重だと思います。下の写真は木が邪魔してわかりにくいかもしれませんが路の両側に塚があります。

 これも一里塚で両側にあります。

 これも両側に一里塚です。木があってうまく撮れません。

 この道には石仏がたくさんあります。お堂の前にゴルフボールがたくさんあります。この区間はゴルフ場の中のホールとホールの間を抜けます。コースから距離があるし樹林とネットで防護されていますが、それでも打ち込んでくる人がいます。

 十三峠道はひとまず終わって大鍬宿と言う小さな宿場町があります。

 峠道はまだまだ続きます。琵琶峠です。この石畳は史跡です。

 琵琶峠の石畳です。馬籠峠などのものより凹凸が少なく歩きやすい。

 馬頭様と呼ばれる石仏です。よく見かける馬頭観音は頭が馬の形をした観音様ですが、この馬頭様は頭に長い帽子をかぶっています。おそらく馬を飼う人々が馬の健康を祈った民間信仰であり、仏教と合体する前の姿ではないかと推測しました。つまり、このあたりには馬の飼育を職業としている人が多かったのではないかということです。

 この馬頭様には宝暦3年(1753年)と書かれていました。江戸時代中期です。この翌年宝暦4年には宝暦の大飢饉があったそうです。その前に建てられたのは幸運でした。

 弁財天の池。カキツバタの名所だそうですが、残念ながら早すぎました。

 途中の公衆トイレの中に巨大なアシダカグモがいました。昔 小学校の廊下をバタバタと走っているのを見たことがあります。本当にバタバタと音がしたのを覚えています。その時以来ですので60年ぶりです。巣を作らない昆虫ハンターです。毒は無いそうです。

 路傍の石仏。千手観音らしい。石仏の千手観音は珍しいので一枚。

 坂道の最後は「牛の鼻欠け坂」です。急斜面のため牛が鼻を地面に擦り付けて傷を負ってしまうことからつけた名前です。しかし、長野県の峠道を経験して来たので、それほど急だとは思えませんでした。これで中山道の坂道はほぼ終わりで、あとは京都まで平坦な道になると掲示板に書いてありました。東は碓氷峠、西は牛の鼻欠け坂が中山道の峠道の関門と言うわけです。

 この日は名鉄御嵩(ミタケ)駅をゴールにしました。ここの宿場町の名前は御嶽(ミタケ)宿と言います。ミタケの字が違います。まだ3時前でしたが、少しペースが速すぎてガス欠でした。歩いている人はそれほど多くありません。反対側から来た人が二人、追い抜いて行った人が一人でした。いずれも男性の一人旅でした。

 御嵩駅から可児駅まで名鉄で移動しビジネスホテルに投宿。この日は49000歩、歩数計によると41km歩いたことになっていました。

 

3日目 雨の中を鵜沼宿まで歩く

 名鉄の始発で御嵩駅に朝6時11分着。天気予報は曇後雨だったので早歩きです。

 御嶽宿の道沿いにある鬼の首塚です。ある乱暴者の首をはねて運ぼうとしたところ重くて動かせず、仕方なくここに葬ったとの伝説があります。

 伏見宿~太田宿と国道の歩道を排気ガスを浴びながら進みます。太田橋で木曽川を渡ると堤防の上が旧中山道で、ここで排気ガスからは解放されます。10時過ぎに雨が降り出しました。

 岩屋観音のあたりで本降りになりました。これは岩屋観音から眺めた木曽川

 岩屋観音の内部です。観音像は見えません。このように崖に穴を掘って作った観音堂は各地にあります。

 岩屋観音堂の由来です。日本語が難しいのでそのまま貼り付けます。

 これも岩屋観音から眺めた木曽川です。最近は聞かれなくなりましたが日本ラインとの名称がつけられています。

 ここからは傘をさして歩きました。「うとう峠」の登り口は若干わかりにくい。閉鎖されたドライブインの廃墟の近くから道路と鉄道をくぐって山道に入ります。ここで30代(?)の男性と同行になりました。日本橋からスタートして1日30km歩き続けて2週間でここまで来たそうです。歩く速さが違うので先に行ってもらいました。

 うとう峠は短いがちゃんと山道でした。昨日見た(「牛の鼻欠け坂」が峠道の最後)という掲示には異議ありです。

 ゴールの鵜沼宿です。景観は保存されています。左側の菊川は以前は日本酒の醸造をやっていたそうですが、今は各地から原酒を集めてブレンドしているそうです。

 予定通り昼前に着きました。この日は23000歩でした。多少の雨天でも傘をさして歩けることがわかりました。名鉄鵜沼宿駅から帰宅しました。

 次回は鵜沼~岐阜~関ケ原と進む予定です。日程は未定です。

第9回 南房総の低山に登る 富山(トミサン)

 マンボウが解除になりましたが、この季節は天気が安定しません。晴れの日を選んで日帰りするしかない。今回は南房総市の富山(トミサンと読む)349mに登りました。南総里見八犬伝というよく知られているが誰も読んだことが無い江戸時代の長い小説があります。その最初の部分で里見家の姫君 伏姫(フセヒメ)が犬の八房(ヤツフサ)と共に隠れ住んだ洞窟が富山の登山口にあります。もちろんこの話はフィクションなので、言わばこの山は江戸時代のテーマパークなのです。

 JR岩井駅の駅前の伏姫と八房の像。物語の中では姫を連れ戻しに来た里見家の家来に八房は射殺され、貫通した弾丸が姫にも当たって死亡という悲劇になっています。

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 富山に行く途中にある福聚院と言うお寺の門。茅葺きの屋根がきれいだったので入ってみました。前を歩いている老婦人のご主人は最近亡くなられたようで、ご主人が描かれた絵と彫られた地蔵さんが置いてありました。

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 伏姫籠穴です。富山登り口にあります。この写真を撮っていたら猪の家族が坂を駆け下りて走り去っていきました。道で出くわしたら危なかった。

 猿にも出会いました。食べ物を見せると危険です。

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 ところが伏姫籠穴から登るルートは崖崩れで通行不可。多少の倒木は乗り越えてやろうと思ったのですが、先の道が全く分からなくなっており断念。引き返して福満寺ルートを登りました。山頂で伏姫ルートを登ってきた一団と遭遇しました。無理すれば来れないこともなかったようです。

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道端の草花です。マムシグサタチツボスミレ

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 この山には桜は多くありません。ヤマザクラが八分咲きでした。ソメイヨシノはまだ開花していませんでした。普通はヤマザクラの方が遅いので時期が逆転しています。

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 チョウセンゴミシというつる性植物です。名前にチョウセンとついていますが、外来種ではありません。漢方薬として使われるそうです。房総にはたくさんあります。この他にヤマブキが満開、水仙も咲いていました。

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 山頂近くにある八犬士終焉の地。物語では彼らは仙人となって天に上ったそうです。

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これが山頂。349.5mとあります。50cmくらい高くして350mにすればよかったのに。

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 山頂からの景色です。350mくらいたいしたことないとタカをくくっていつものストックを持たずに来ました。結構大変で、持病の右ひざが痛み出しました。真剣に治療を考えなければ。

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 山頂には高校生の団体がいてにぎやかでした。中高年にも10人ほどで会いました。人気のある山です。帰りは反対側に降りました。斜面は緩くて楽でしたが、かなり遠回りになります。

 反対側登山口にある水車小屋。動いていません。

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 これは伊予ヶ岳。336mとトミサンよりやや低いが、途中急斜面の鎖場があります。トミサン~伊予ヶ岳の縦走は元気な人ならそれほど難しくないでしょう。私は鎖場は怖いし足が痛くなったので帰りました。

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 帰り道から眺めた富山(トミサン)です。北峰と南峰があり、北峰の方が山頂です。ふもとの建物は道の駅です。JR岩井駅からも見えます。すぐそこに見えますが意外に距離があります。

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 房総の低山歩きも悪くないと思いました。しかし、暖かくなってくるとマムシとヤマビルに要注意です。この日は22000歩 約20km歩きました。 

とみさん伏姫ハイキングコース|南房総モデルコース (mboso-etoko.jp)  

第8回 四国お遍路 土佐の高知を行く 後編

 文中に出てくるガイドブックとは JTBパブリッシングの「大人の遠足シリーズ 四国八十八ケ所を歩く」のことです。

後編では足摺岬を巡り、松尾峠を越えて愛媛県に入ります。

高知の5日目 足摺岬を巡る。

 足摺岬のほんの一部だけ回りました。本当はもっと見どころはたくさんあるようです。

 中村駅前から8:20発のバスで足摺に向かいました。これが始発です。乗客は3名のみ。観光一人旅の高齢の男性と途中まで行く地元の老婦人。途中の海岸線の景色はかなりすごい。じっくり見れば面白そうだが、バスはほとんど停留所に止まらずガンガン飛ばして行きます。さらに集落に入るとすれ違うことができないような細い道に入って行きます。1時間20分後 足摺岬のかなり手前の臼碆(うすばえ)停留所で降りました。すぐ近くに竜宮神社があります。亜熱帯植物に覆われた短い参道を抜けるといきなり視界が開けます。この光景のド迫力は私の撮影技術とカメラの性能ではとてもお伝え出来ません。少なくともドローンと広角レンズが欲しい所です。

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 竜宮神社自体は小さな祠です。その周りの岩山がすごい。

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 周りをぐるりと茶褐色の岩山がパラボラアンテナのように取り巻いていて、そのパラボラの焦点に神社があります。

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 古代から聖地とされるのも当然と思いました。来訪者は私一人だったのでパワースポット独り占め状態でした。バス停に戻り足摺岬に向かって歩きます。途中 唐人駄場遺跡へ向けて左折して坂道を登ります。

 唐人駄場遺跡は縄文前期の巨石文化遺跡です。その周辺は元々巨石の多いところのようです。馬を飼う牧場があって、馬が除草してくれていました。写真は唐人駄場の駄馬(失礼)。

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 見たところ自然石に見えますが、岩に含まれる地磁気の痕跡を調べると人為的に動かしていることがわかったそうです。縄文式土器も出土しています。

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 またしても来訪者は私一人で、パワースポット独り占め。

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 下の写真はストーンサークルだそうです。東北地方に残っているものとはだいぶ違います。

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 登ってくる途中に遍路道入口の立札を見つけていたので、来た道を戻って遍路道を下ることにしました。ところどころ石畳が残っていて歴史を感じる道でした。

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  足摺岬に向け舗装道路を歩きます。距離は7kmほど。途中で白山洞門に立ち寄りました。波の浸食でできた洞穴です。

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 12:30頃 38番 金剛福寺に着きました。参拝者は私を含め3名。少ししか歩いてこない私でも多少は感動するのだから、長い距離を歩いてきた遍路はさぞかし感動したことでしょう。

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 境内には岩がたくさんあって独特な光景です。

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 金剛福寺は補陀洛(ホダラク)渡海が行われたところででした。ホダラク信仰は即身仏と並ぶ異形の宗教です。西方浄土を目指し櫂の無い船で海に出る、言わば宗教的自殺です。

 バスまで少し時間があったので亜熱帯林の中の遊歩道を散策しました。足摺岬室戸岬とは異なり海岸が断崖絶壁で波打ち際まで行けません。その絶壁の上が遊歩道なので、樹木が茂って断崖は見えないのですが、やはり足がすくみます。植物には見慣れたものは全くありません。樹木の間を小鳥がたくさん飛び回っています。これも見慣れたものはいません。

 足摺岬から中村までバスで2時間もかかります。乗客は2人。一人は途中で降りたので、ほとんど私一人でした。下の写真はバスの窓から撮った西日に照らされた四万十川です。思ったより大きな川でした。この日の歩数は24000歩でした。

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6日目 最終日 松尾峠を越え愛媛県に入る。

 夜明け前 中村駅 6:23発の列車で宿毛に向かいます。ガイドブックでは途中 平田駅で降りて延光寺に参拝し、そこから歩いて松尾峠を越える行程を推奨していますが延光寺は4日目に済ませているので早く進むことができます。東宿毛駅で降りました。時刻は6:54。日出前だが十分に明るい。駅の温度計はー2℃を表示していました。おそらく今季最低でしょう。

 松尾峠は江戸時代までは土佐と伊予を結ぶ幹線道路だったそうです。しかし、近年の都市計画で下の方の道はほとんど市街地化して、登り口が大変わかりにくくなっています。ガイドブックに丁寧に書いてあるので、これに従ってなんとか迷わずに道に入ることができました。写真にあるように霜で真っ白になった道を進みました。

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 途中 集落を2つ抜けます。ここの名物は文旦という大粒のミカンです。グレープフルーツの原種で、味も似ています。お土産にしたいところですが、荷物が重くなると困るので買えません。歩き旅の短所です。

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 途中で罠にかかった猪がいました。猪は夜行性なので道中に出会うことは滅多にありません。まだ小さくてかわいそうだが逃がすわけにはいきません。最近 増殖しすぎて害獣になっています。せめての供養に人間に食べられてくれと祈りました。

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 松尾峠から眺める宿毛湾。これでお遍路の旅は太平洋からお別れになります。

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 松尾峠に到着。まだ10:30。このお堂は大師堂と呼ばれています。かってあったものは移転していて、これは最近建てられたもの。ここから愛媛県に入ります。

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 松尾峠に藤原純友の居城の矢印があったので行ってみました。この人は平安後期 平将門が関東で挙兵したことに呼応して西国で兵をあげた人です。水軍を駆使して戦ったが、仲間に内通者が出て敗れたとされます。その後、家族をこの城において九州に逃げたが結局討たれ、妻もここで自死したと記されています。城跡のはずですが土塁・石垣、堀の痕跡は見当たりません。城と言っても屋敷か隠れ家のようなものではなかったかと思われました。平将門はその後神様になって神田明神に祭られていますが、この人は神様にはなっていません。

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 愛媛県側に入ると道は大変きれいに整備されています。経済力の差か、やる気の差か。

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 山道を降り切って一本松の集落に入ると、道しるべが要所にあり、それをたどって歩くことになります。途中で松尾大師がありました。もちろん建物は新しいものですが、かっては松尾峠にあったものを移したものです。

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 最後は僧都川の堤防を歩いて行くきます。川風が冷たい。僧都川を渡る橋から見た40番 観自在寺です。列車を使って楽して来たとはいえ、今日はここまで37000歩、約30km歩いてきました。

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40番 観自在寺 1番札所 霊山寺から最も遠い所にある札所だそうです。

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 お寺は新しく、いろいろ願い事をかなえてくれるそうで庶民的な雰囲気があります。

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 午後2時発のバスで宇和島駅まで行き帰路につきました。このバスも2時間近くかかりました。この場所は遠いのです。バスの乗客は最初から終点まで私一人の貸し切りでした。

 今回の旅は寒さには閉口しましたが、好天に恵まれたのは幸運と言うべきでしょう。

 愛媛県香川県は11月以降に回ります。オミクロン株が大変な勢いで拡散しているので、しばらくは遠出を控えます。

 

第7回 四国お遍路 土佐の高知を行く 前編

 文中に出てくるガイドブックとは JTBパブリッシングの「大人の遠足シリーズ 四国八十八ケ所を歩く」のことです。

 高知県の中部~足摺を歩きました。と言っても全部歩くのではなく列車とバスの助けを借りています。

 1日目 大雪で列車遅延。大急ぎで二つの寺を回る。

 のいち駅についたのは、もう日も傾いた午後3時。日没まで2時間半しかない。寺を2つ回れるぎりぎりでした。そこで列車を最大限活用するよう予定を変更しました。

 のいち駅から28番大日寺までは2.3km。これを参拝時間を含め1時間で往復することにしました。ちょうど小学生の下校時間だったので、彼らと競争のように歩きました。寺に近い所で旧遍路道の道標があり、そこを歩くとまもなく大日寺の山門に着きます。

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 大日寺の境内には参拝のご夫婦と私のみでした。本堂と大師堂に般若心経を読み、すぐ駅に引き返しました。本来であればここから徒歩で29番国分寺へ向かうところですが、9kmもあるので途中で日没になってしまいます。このルートはあきらめ列車を使うことにしました。

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 のいち駅に帰って午後4時着。4時10分発の列車で後免駅に向かいます。後免駅と29番国分寺の距離は約2kmなので日没前に参拝可能と考えました。ただし、このルートは遍路道ではないので道しるべはありません。ガイドブックにもありません。地図と携帯のナビが頼りでした。なんとか国分寺に着いたのは日没直前でした。夕日に照らされた山門はとても雰囲気あり、諦めずに来てよかったと思いました。88カ所のうち国分寺の名を持つ寺は、各県に1寺づつ、4寺あります。いずれも天平時代 聖武天皇の仏教による治世の方針に従い各地に作られた国分寺が起源です。従って、言わば国立なので敷地が広く大きな寺が多い印象です。

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 とても立派なお寺で、諦めずに来てよかったとまたまた実感しました。ここで午後5時になり。誰もいないのに鐘が鳴り出しました。この鐘楼は自動鐘撞装置で無人で鐘を撞く仕掛けになっていました。

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 大きな方は本堂で、戦国時代の土佐の英雄 長曾我部国親・元親親子によって再建された重要文化財。左の大師堂も江戸時代に作られた立派なもの。

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 参拝を終えて後免駅に引き返す間に日が沈みました。それでも真っ暗になる前に駅に到着し、高知駅まで移動して宿泊しました。今日の歩数は15000歩。距離はたいしたことはないが、大急ぎで歩いたので消耗しました。

 

 2日目 高知市内をめぐる。

 今日は歩行距離が長い日です。土佐一宮(「とさいっく」と読む)駅についたのは日の出時刻頃。目指す30番善楽寺土佐神社の隣にあります。地元では土佐神社の方が有名で電信柱に道標があるので、これを頼りに行けばよい。下の写真は寺ではなく神社の山門です。参道も非常に長い。

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 これは土佐神社。長曾我部元親が建立した。土佐の国の鎮守です。

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 30番 善楽寺は巨大な土佐神社と比べてしまうとこじんまりと見えます。地元の方々が朝のお参りをされていましたが、神社・仏閣にこだわりなく両方にお参りされているようでした。

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 30番善楽寺から次の31番竹林寺までは8kmあり、2時間ほど歩き続けなければなりません。この間は市街地なので道が複雑で、道しるべが頼りです。高知県徳島県ほど熱心ではないとの印象で、この道しるべを探すのに苦労します。下の写真のように車の往来が激しい道路も遍路道です。正面の山が竹林寺のある五台山。

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 五台山への登り道は急坂です。途中 石がゴロゴロでスピードが出ません。しかし、ここで足首をひねったりしたらこの後の歩き旅を断念することになりかねないので慎重に進みます。

 途中で遍路道は牧野植物園の中を通ります。植物園の見学には入園料が必要ですが、お遍路は無料で通過できます。3年前に来た時は入園料を払ってゆっくり見学しました。この植物園は私がこれまで見学した植物園の中では最高のレベルにあります。ここを管理している人たちの技術力とモラルの高さを感じました。植物を育てることに苦労したことがある人には、この植物園の価値がわかると思います。興味のある方は是非ご見学ください。今回は先を急ぐのでパスしました。

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 31番 竹林寺には9時半ごろ到着。本尊は知恵の神様とされている文殊菩薩です。ちょうど受験シーズンで、祈祷してもらうために受験生と親が次々と本堂に入って行きます。

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 竹林寺の山門と本堂の間の苔の庭。本堂の裏の庭園が有名だそうですが有料だったのでパスしました。

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 この苔の庭に小さなお堂があります。ここの狛犬は子犬をあやしながらお堂を守っています。狛犬の表情が、どことなく柔和でした。

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 よさこい節にある「土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た」は実話で、竹林寺はその坊さんがいた寺として有名です。しかし、寺としては名誉とは思っていないらしく、その説明は一切ありません。

 32番 禅師峰寺まで7km。田園の中を進みます。そろそろ疲れてきます。水田の荒起こしが始まっていて、掘り起こされたミミズや虫をねらってサギがトラクターの後を追っていました。

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 32番 禅師峰寺には11時過ぎに到着。山の上にあるので一汗かきます。山頂の敷地が狭いうえに奇岩がニョキニョキと立って密度が高い寺です。ここから土佐湾を見渡せます。ここでコンビニのおにぎりで昼食。

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 山を降りて33番 雪蹊寺に向かいます。県道278を歩いて行きますが、Goo地図には32番奥の院が出ています。

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 下の写真のお堂がその場所にありました。表示が何もないので確認できませんが、これが32番 禅師峰寺奥の院でしょう。昔はこのあたりが海岸線でこのお堂は海岸に立つ隠れた祈りの場だったのではないでしょうか。

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 県道278は種﨑~長浜間で海の上を通ります。ここは1時間に一本のフェリーがあります。この区間に橋もありますが、遠回りになるので、歩行者、自転車、バイク(4輪車は載せない)、特に中高校生に需要があるようです。しかし、1時間に一本しかないのは不便です。私が乗った船の乗客は6名でした。船の名前は龍馬号。船も乗員も高齢でした。10分間の船旅でした。料金は無料です。県道ですから。

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 船から降りて少し歩くと小さな神社がありました。立札の説明によると祭神は宇迦魂神という古事記にも日本書紀にも出てこない謎の神だそうです。四国にはこのような謎の神が何人かいるようです。f:id:tanemaki_garden:20220123064008j:plain

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 33番 雪蹊寺には午後2時頃到着。建物自体は新しい。

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 雪蹊寺の隣に秦神社があります。祭神は長曾我部元親です。もともと彼の霊は雪蹊寺に祭られていましたが、明治の廃仏毀釈雪蹊寺が廃寺となり、秦神社を建ててここに霊を移したのがこの神社のはじまりと説明があります。その後 雪蹊寺は檀家たちの尽力で再建されています。お遍路の札所といえども廃仏毀釈のダメージを受けていました。もともと神仏習合で仏と神様は仲良くやってきたが、明治政府が無理やり分断したと東洋大師の和尚さんが言っていました。これが起こったのは明治の早い時期、明治3年でした。何かと過激な思想が横行していた時代だったのでしょう。

 なお、長曾我部という珍しい名字は彼らが渡来人だったことに由来するそうであり、その先祖の名前は秦だったそうです。中国系で秦の始皇帝の血筋を引くということになっていたらしい。

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 この日はこれでおしまい。近くのバス停から高知市内に戻りました。バス停の待合室にて老人と談話。これほど寒いことは稀であると。そうしているうちにバス一本が通過してしまいました。地元の人にとっても路線バスはわかりにくい。

 高知の楽しみは鰹のたたきです。新鮮な鰹は臭みが無いのでショウガは不要。タマネギ、ニンニク、ポン酢ダレ それに日本酒の相性は最高です。店を替えながら4日連続で食べました。写真ははりまや橋の司本店のもの。費用は税込み1500円+酒代とリーズナブル。

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 ほろ酔いで宿へ戻る途中にあった八幡社。正月飾りを燃やした焚火がまだくすぶっていました。

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 高知駅前に幕末の3英傑の像が立っています。この人たちは誰でしょう?真ん中は誰でも知っている人です。左の人はその有名な人の盟友。右側の上級武士の格好をした人がわかる人はかなりの歴史マニアです。

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 3日目 春野~土佐市をめぐるが、津波注意報で少しルート変更

  夜中に津波注意報が出ました。午前2時の気象庁の記者会見をテレビで見ましたが、滑舌が悪すぎて大変聞き取りにくい。記者たちには書類が配られているようですが、音声だけで聞いている我々は何が起こっているのかわかりません。ともかく明日は海に近づかないことにしました。従って36番 青龍寺は断念することになりました。

 行程が短くなったのでゆっくり出発。高知駅 バスターミナル 7:39発のバスに乗りました。ターミナルからは桂浜行のバスが時刻通り出て行きました。注意報は関係ないようです。新川通りバス停に8:20頃着。ここまで乗った乗客は私一人。この日はバス代が無料の日でした。680円ほど得しました。あじさい通りと名付けられたまっすぐな道をどんどん歩き、春野町役場方向に右折、やがて種間寺の標識が見えてくる。34番 種間寺は農村の中の小さな寺でした。畑の中をキジが歩いていました。

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 ここでもトラクターの後をミミズや虫をねらってサギがついて歩いていました。

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 34番 種間寺の参拝者は朝早いこともあり私一人でした。日差しは強いが手水には氷が張っていました。今日は2つの寺しか回らないのでのんびりと過ごしました。

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 種間寺を出たところで清滝寺の矢印が左に出ていたのでそちらへ向かいましたが、これが失敗。この矢印は自動車向けで歩き遍路には遠回りになる道でした。自動車用と歩き用で道が異なることに要注意。結局、車用の道を行くことになり30分以上損しました。

 下の写真は仁淀川大橋からの眺め。山の中腹にあるのが35番 清滝寺。ジグザグに見えるのは車道で、歩き遍路道は森の中を直登します。この大橋から川の堤防を歩いて行きます。そして道しるべに従い堤防から一度国道に降りて右折して遍路道を行きます。少し早いが国道沿いの牛丼屋で昼食にしました。ここ数日 昼食はコンビニのおにぎりばかりだったのですごくおいしく感じました。

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 山登りの遍路道で大汗をかいてやっと山門にたどり着きました。

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 先程の山門からさらに石段を登って35番 清滝寺に着きました。

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 清滝寺の本堂の横に小さな滝がありました。おそらくこれが清滝寺の名前の由来でしょう。遍路道のわきにずっと水が流れていましたが、その水源はこの滝でしょう。

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 先程とは逆に清滝寺から仁淀川大橋を眺めました。あそこから延々と歩いてきたのです。

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 清滝寺の境内に高岳親王(たかおかしんのう)の塚がありました。この人は平城天皇の第3皇子だが、薬子(くすこ)の乱に敗れ出家しました。空海について修行し、若い頃は清滝寺にいたと言われています。その後、高野山で高い位につき、空海の葬儀にも立ち会っています。高齢になってから唐に渡り天竺(インド)へ行こうとしてラオスあたりで死去したとされます。この写真の森は「いらずの森」、つまり立入禁止とされています。立入禁止とする理由は普通はお墓である場合が多いなど、いろいろ想像することはできます。お遍路の旅をしていると、このようにものすごい人のものすごい話に出会うことがあります。

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 山を降りる時に遍路道以外の道を行こうとしてひどく遠回りをしました。一度気が緩むとなかなか戻りません。土佐市内からバスで高知市に戻りました。この日の歩数は3万歩。

 今回は36番 青龍寺には行けませんでした。88カ所を回る中で行けない札所がこれからも出てくるでしょう。一通り回り終わった後で、行けなかったところだけ拾うことにしようと思います。特に青龍寺は重要な寺と思っています。唐にいた空海が独鈷(仏具の一種)を投げたところこの青龍寺の場所まで届いた。空海の超人伝説のうちでも有名なものです。そこで空海はここに寺院を作り、唐で修行していた寺と同じ名の青龍寺と名付けたとされます。3年前に訪れていますが、空海の師匠である恵果の墓があったり、この寺は88カ所の中でも特別なのではないかと思っています。その時奥の院まで行きましたが、お堂に至る石畳の前に「靴を脱ぐように」との立札がありました。野外で靴を脱がされたのは初めてでした。なお、この奥の院空海の投げた独鈷が届いた場所と言われています。下の写真は独鈷(写真はネットから採取)。青龍寺には、いつになるかわからないが、後日来ることにします。

極上品 密教 法具 前具 五鈷杵 三鈷杵 独鈷杵 真鍮銅器 細密細工 古美術品[d578]

 4日目 四万十川の周りを歩く。

 今日は列車に乗っている時間が長い日です。

 高知駅8:20発の特急で窪川へ向かいます。窪川着は9:26。37番 岩本寺は駅から10分ほどのところにある小さな町の小さなお寺です。しかし、この寺は36番 青龍寺から約60km、次の38番 金剛福寺までは約90kmのところにあるので、歩き遍路にとっては大変に重要な寺です。

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 窪川駅に戻り平田駅まで列車で移動しました。平田駅には12時前に着きました。少し離れた国道・宿毛街道沿いに食堂があったので、そこで昼食にしました。そこから国道をしばらく歩き看板に従って右折し、39番 延光寺まで約40分くらいで着きました。先ほどの岩本寺は37番、この延光寺は39番、この間に足摺岬にある38番 金剛福寺があります。このような手順前後は特に気にしないで良いようです。

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 39番 延光寺高知県最後の寺。足摺岬にある38番 金剛福寺から60km以上もあります。

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 地図には近くに奥の院があることになっていましたが、見つからずに断念しました。当初の予定は平田駅に戻って宿泊地の中村までの列車移動でしたが、まだ1時過ぎなので明後日の松尾峠越えの登り口に近い宿毛まで歩くことにしました。

 宿毛までは国道の歩道をずっと歩いて行きます。松尾峠登り口に近いのは東宿毛駅です。そこに14:50頃到着しました。ところが15時台には列車が無く、次の列車を1時間半ほど待つことになります。しかもこの駅は無人駅で駅舎が無く吹きっさらし。そこで宿毛駅まで歩き、そこの待合室で列車を待ちました。この日の歩数は22000歩。

 長くなったので、ここで一度 閉じます。後編に続く。

 

第6回 四国お遍路 室戸岬から北上する。

 文中に出てくるガイドブックとは JTBパブリッシングの「大人の遠足シリーズ 四国八十八ケ所を歩く」のことです。

 室戸岬編の3日目。今日は室戸三山と神峯寺を回ります。

  朝食後 7時半に岬観光ホテルを出発。もう一度 御蔵洞(みくろど)へ行ってみたが、朝早いので南京錠がかかっていて入れませんでした。灯台へ登る道が遍路道です。これを上がって行きます。3年前に一度来たはずでしたが、今回はとても長く感じました。亜熱帯なので植物群が独特です。

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 30分ほど登り続けて24番札所 最御崎寺(これで「ホズミサキジ」と読む)に到着。参拝者は私を含め3人。私以外は車で来ていました。土曜日でしたので休日を利用して回る現地の方のようです。きちんとお遍路の服装でした。f:id:tanemaki_garden:20211222154723j:plain

 境内にはヤッコソウの群落があると看板が立っています。今は冬なので枯れたものしか見れません。葉緑体を持たず腐食の栄養だけで生きている植物です。

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 ここからスカイラインのくねくね道を降りて、国道に平行した田舎道を北上します。海の向こうの陸地の影は足摺岬でしょうか。

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 途中 南海トラフ地震による津波を想定した避難タワーがいくつもありました。なお、お寺は全て山の上にありますので津波の心配はありません。

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 25番札所 津照寺(これで「シンショウジ」と読む)まで約7km。1時間半ひたすら歩きます。津照寺は元々は漁村の守り神だったようです。長い石段があります。

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 26番札所 金剛頂寺までは約4km。最後は例によって山道の登りです。

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 26番札所 金剛頂寺 おばさんたちが大掃除を始めていました。

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 ここから奥の院でもある不動岩までの近道がわからず、結局 登ってきた遍路道を降りて海岸通りを進みました。不動岩は海岸にあるので、この道を行けば必ず着きます。しかし、遠回りだったので予定していたバスに乗り遅れました。

 途中で振り返って見た室戸岬です。最御崎寺から降りてきたスカイラインのくねくね道が見えます。いつもながらよく歩いたと自分に感心します。私にとって室戸岬はとりわけ印象深い所です。また来ることはあるだろうか、とちょっとしんみり。

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 番外霊場 不動岩に着いたのは12時頃でした。明けの明星が口の中に飛び込んだとの幻想を空海が見たのは、御厨人窟(みくろど)ではなくてここではないかとの説があります。当時は海面が今よりも高かったので御厨人窟では海に近すぎてい、いくら空海でも座っていることはできなかったろうと言うのが理由です。ここでジャムパンをかじって昼食としました。

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 ここにも洞窟があります。

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 別の角度から見た不動岩です。

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 ここからバスに乗って奈半利(なはり)駅に行き、鉄道で唐浜(とうのはま)駅まで行き、26番札所 神峯寺(こうのみねじ)を目指します。この日 12月18日は今期最大の寒波が襲来。本来は亜熱帯のはずの室戸地方も寒風が吹き荒れました。歩いているうちは暑くて大汗をかくのですが、バスを待っているとその汗がビシビシと冷えてものすごく寒い。

 唐浜(とうのはま)駅からしばらくの間は大規模農道の緩やかな坂を登って行きます。この周りの地層には貝の化石がたくさん含まれているようで、おそらく小学生の遠足用でしょうが、自由に掘っても良い広場もありました。当然ですが使って良いのは小さなシャベルだけ、大型スコップなどの使用は不可です。道路わきの土にも白い貝殻が見えます。

 途中から強烈な山道になります。「まっとう」と呼ばれる遍路道です。おそらく「まっすぐ登る」と言う意味でしょう。唐浜駅から神峯寺まで距離は4km程度ですが、この登りがあるので1時間半はかかります。車道をそのまま登って行くこともできます。距離はかなり長くなります。

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 遍路道にあるつぼ型の石碑。他のところでは見られない形です。「同行二人」と書いてあります。

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 やっとのことで27番札所 神峯寺(こうのみねじ)に到着。ここも神峯神社とセットになっています。神社は寺よりもっと高い所にあるので省略。寒風吹かれる中で衣類は汗びっしょり。こういう時の体調管理の仕方がわかりません。ともかく一度衣類を脱いで汗を拭いて着直しました。

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 参拝者は5~6人いました。もと来た道を引き返して唐浜駅に着いたのは4時半ごろ。次の電車は5時21分までありません。駅の待合室には暖房が無く、汗が冷え切って低体温症を心配しました。安芸のホテルに投宿。ともかくバスタブの湯に浸かり体温を上げて生き返りました。

 室戸岬は唐に渡る前の弘法大師 空海が修行した場所です。空海の超人伝説は四国各地に残っていますが、信憑性に疑問符がつきます。しかし、室戸岬のどこかの洞窟に空海が座っていたのは事実でしょう。旅の楽しみは想像力を働かせることにもあります。八十八カ所のうちどこがいいか?とよく聞かれます。今のところ室戸三山(24番~26番)と3洞窟(御厨人洞、観音窟、不動岩)を勧めます。前泊して(当然 岬観光ホテル)1日で回り奈半利から高知市まで帰ることは可能です。(私は27番 神峯寺まで一気に回りましたが、相当無理があるので、一般にはお勧めしません。)

 これで年内の旅はおしまい。来年早々また高知に来ます。 

 

第5回 四国お遍路 室戸岬への道

 文中に出てくるガイドブックとはJTBパブリッシングの「大人の遠足シリーズ 四国八十八ケ所を歩く」のことです。情報はほぼ正確です。

今回は室戸岬周辺を歩きます。

 1日目 23番札所 薬王寺薬王寺温泉

 日和佐駅に着いたのは午後3時。23番札所 薬王寺は駅の近くです。写真は駅の陸橋から見た薬王寺です。駅前にはみやげ物屋、食堂など商店街がありました。駅前商店街 や門前町ではなくて道の駅でした。地方は車中心社会になってきています。

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 薬王寺本堂及び大師堂です。昭和時代に建てられた色鮮やかな塔が目立ちますが、他の建物は古くて風格があります。

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 薬王寺から眺めた日和佐の町。山の上にあるのはお城の形をした資料館。浜にはウミガメが産卵に来るそうです。静かな町でした。f:id:tanemaki_garden:20211220142302j:plain

 薬王寺には宿坊があり、温泉大浴場がついていて、日帰り入浴可能です。早速入ってみました。料金は600円。さっぱりした後、宿坊ではなく駅前のビジネスホテルに投宿。 

 当初はここから室戸岬まで通しで歩くつもりでした。このルートはガイドブックには載っていません。一般向けではないと思います。Google Mapのルート検索で表示された距離は74.2km。2日あれば歩けると判断しました。ところが薬王寺前の道標には次の24番まで91kmと表示あり。約17kmの差があります。自動車なら大した誤差ではありませんが、歩くとなると大差です。どちらが正しいかこの時点では判断できず、路線バスを調べておいて柔軟に対応できるようにしました。

 2日目 日和佐から宍喰(ししくい)まで歩き、途中で番外霊場 鯖大師に参拝。

 夕方から雨の天気予報でしたので、夜明け前の6時半にホテルを出発。宍喰まで急ぎます。旧遍路道はほぼ国道55号(土佐東街道)と重なっています。ところどころ旧道が残っていて八坂八浜と呼ばれています。つまり山を八つ越え、浜に八回降りるということです。体力温存、時間タイトなのでひたすら国道を歩くことにしました。ほとんどのところは歩道がありますが、一部 線を引いただけのところがあり、車の往来が結構多いので注意して進みます。トンネルの中で壁に張り付いてトラックをやり過ごすこともあります。

 国道に面したドライブイン、レストラン、喫茶店、ホテルなどはほとんど閉店・廃業しています。途中で食事ができる店は無いと思った方がいいでしょう。食料は日和佐のコンビニで調達してきました。

 廃業した店舗、ホテルを見ると気分が落ち込みます。廃墟ばかり見せられたらこの地域に投資する気にはならないでしょう。片づけた方が地域のためになると思うが、廃業した人に建屋を取り壊す資金はないだろうし、行政が個人資産を勝手に片づけることはできないだろうし、何かいいアイデアはないでしょうか。宿泊したホテルに聞いてみたら廃業の原因は破産ばかりではなく、高齢化が大きいのではないかと。別の言葉で言えば後継者がいないことです。人口減少、人口流出が廃墟頻出の主要因とすると将来全国各地に廃墟群が出現することになります。

 途中には写真のような絶景はあります。ただし、他の日本の風景と同様に箱庭型で、90度横を見ると工場があったりする。360度とは言いませんが、せめて180度は欲しいところです。(住んでる人の身にもなってみろと言われそう)

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 番外霊場 鯖大師についたのは11時半。鯖を3年食べないことで願をかけるのでこの名があります。お茶断ちとか酒断ちで願をかける話は聞いたことがありますが、鯖は初めてです。ひなたぼっこしながらコンビニで買ってきたパンとジュースで昼食。参拝者は私一人でした。

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 宍喰到着は午後2時半。思ったより早く着きました。雨の予報のせいで全力で歩いてきたので消耗しました。海岸で波を見ながらチェックイン時間を待ちます。ホテルは温泉付きでした。冷えた体には大変ありがたかった。この日は46000歩。38kmに相当します。Googleでは30kmだったので、実際の距離はGoogleの1.2~1.3倍はありそうです。Googleはたぶん道路の真ん中を測っており、歩くのは道路の端なので、カーブが多ければこの程度の差は出るのでしょう。

 3日目 宍喰(ししくい)から室戸岬

 ホテルは朝食付きだったので、得意の夜明け前出発ができず、7時半に出発して、東洋大師(明徳寺)までの9kmを歩くことにしました。雨は夜の間に通り過ぎて晴天になりました。

 朝の漁港で漁船の帰りを待っているアオサギの群れ。

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 途中で妙な乗り物と出会いました。この青いバスはレールの上を走っています。赤いバスは同じ型の車両ですが、道路の上を走っています。道路・レール兼用のバスです。まだ試運転中とのことでした。四国は1両編成のワンマン列車がたくさん走っているので発想としては理解できます。道路からレールの上へ脱線しないように乗るには工夫が必要と思いますが、そこまでは見れませんでいた。

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 東洋大師(明徳寺)には9時半到着。参拝者はやはり私一人。和尚さんが出てきました。一人で寺を管理しているので大変だとこぼしていました。地元では有名な方だそうです。隣には八幡神社があり、寺と神社が杉木立に囲まれて神域の雰囲気があります。和尚さんによると、昔は寺と神社は一緒にやっていた。神仏混淆(しんぶつこんこう)。それを政府が無理やり分けたのだと。(明治政府のことです)下の写真は八幡神社です。

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 ここからバスに乗り、夫婦岩(めおといわ)で降ります。乗客は私を含め二人だけ。しかし、料金は920円とちょっと高めで、二人では厳しいかもしれないが、5~6人乗ればペイするのではないかと思いました。

 夫婦岩には説明の石碑がありました。この日本語がよくわからないので、そのまま載せます。竜燈とは普通は不知火(船の灯火などの蜃気楼)のことですが、この説明ではここから種火を取ったとあるので不知火ではない。海の中の岩から火が出るのは考えにくい。おそらくここで祭礼を行い、儀式の中で火を起こし。それを地域住民が種火として持ち帰ったことはあったと思う。その祭礼の起源として石碑にあるような神話が作られたのではないかと言うのが私の推測です。

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  沖縄のセイファーウタキ、宮崎の鵜戸神宮など黒潮に乗って数々の神話伝説があります。夫婦岩も古代のパワースポットの一つなのでしょう。

 ここから室戸岬まで13kmほどのはずでしたが、非常に長く感じました。こんな道を延々と歩きます。

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 途中 室戸(廃校)水族館に立ち寄りました。教室に水槽があり、おもに漁師さんが採ってきた地元の魚類を展示しています。手洗い場に海水を入れてヒトデなどに触れるようになっています。水泳プールに大型魚類やウミガメがいる。ウミガメの繁殖もやっているようです。図書室などそのままになっていて、かって子供たちが走り回っていた状況が想像できます。いつまでも継続して欲しいと思いました。

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 室戸ジオパークセンターにも立ち寄りました。入場無料。地学あり、民俗学ありでスペクトラム広すぎて焦点が合わない。欲張りすぎの印象でした。

 室戸岬に近づくと、岩がますますものすごくなってきます。どうしたらこんなになるのか、褶曲がグシャグシャです。このあたり火山は無いので溶岩ではありません。

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 目的地の一つ番外霊場 御厨人洞(みくろど)に到着。3年前に来た時は落石危険で洞窟には入れませんでした。今は屋根と金網ができて小さな落石なら防げるようになり、洞窟まで行けます。しかし、「自己責任で」との注釈付きです。

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 御厨人洞(みくろど)の内部です。ここで空海が修行していた時 明けの明星が口の中に飛び込んできて、霊感を得たとの伝説があります。上の写真では車が止まっていますが、私が洞窟に立ち入った時はいなくなっていました。パワースポット独り占めです。般若心経を読んでいたら、背後でピシッ ミシッと音がする。振り返っても誰もいません。

 洞窟は二つあり。上の写真が 御厨人洞 下の写真が神明窟です。

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 もう一つの洞窟が観音窟です。24番 最御崎寺への遍路道の途中にあります。空海が一晩で作ったとの伝説があり、一夜建立の岩屋とも呼ばれています。今は24番 最御崎寺奥の院の位置づけです。空海が修行した洞窟については諸説あり、ここも候補の一つです。当時は海面が今よりも高かったので御厨人洞では海に近すぎて修行は無理だったのではないかとの説があります。 

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 これで本日の予定はおしまいで宿に向かいます。今日は35000歩でした。日和佐から室戸まで、途中バスを使いましたが、2日間の合計約8万歩になります。足の裏に水膨れが再発しました。

 宿を紹介します。岬観光ホテルは建物が「有形文化財」に指定されるほど古く、いごこちがいいとは言えませんが、なにしろ管理する人達がいい。4時頃到着しましたが、私だけのために風呂を沸かしてくれました。客は3人。そのうち食事付きは私だけで、私一人のために夕食と朝食を作ってくれました。少しでもお役に立とうと酒をたくさん飲み、カードではなく現金で支払いました。

 翌朝 ホテルの親父さんが見送りに出てきて、ホテルの前の小川にクレソンが自生していて、それを食べにカニが上がってきて、さらにそれを食べにウナギが来るという話をしてくれました。とても日本とは思えません。もし、室戸へ行かれる節は、岬観光ホテルがお勧めです。写真は岬観光ホテルの部屋の窓から撮った夜明けです。

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 明日は室戸三山(24~26番)と27番 神峯寺を巡ります。(つづく) 

第4回 四国お遍路 徳島編 後編

 道順などはJTBパブリッシングの「大人の遠足シリーズ 四国八十八ケ所を歩く」を参考にしています。文中では「ガイドブック」と呼んでいます。

3日目 八十八カ所最大の難所 遍路ころがしの急坂を行く

 まだ暗いうちにホテルを出発、列車で鴨嶋駅に向かいます。夜明けと同時に駅を出発し、約1時間で11番札所 藤井寺に着きます。山のふもとの小さな寺です。

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 境内の隅に12番札所 焼山寺への登り口があります。

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 道の入り口近くには八十八ケ所の名前を付けたお堂が並んでいます。ここにお参りすれば八十八カ所を回ったことと同じになるということらしい

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すぐに急な登りになります。しかし、これは「遍路ころがし」ではありません。この先の急坂はこんなものでない。
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 長戸庵です。足腰を痛めた旅人が弘法大師に治してもらったとの伝説があります。こんなところを旅人が通るのはおかしいのです。おそらくこのあたりに集落があったのではないかと思います。

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 途中に見晴らしの良い場所があります。昨日 横断した吉野川の中州、善入寺島が見えます。

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 「遍路ころがし」です。1/6との表示がありました。6カ所あるということです。

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 左右内(そうち)の一本杉。階段の上に弘法大師の像があります。お堂もいくつかあり、集落跡かもしれません。

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 別の角度から見た左右内の一本杉。

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 これらも「遍路ころがし」です。どこに足を置いていいかわからない。四つん這いで登ります。雨の日は危険でしょう。

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 焼山寺へ行く道は登り下りが多くあります。つまり、せっかく登っても下らなければならず、そしてまた登ります。精神的につらい道です。途中に左右内集落という村があり、ガイドブックには体調が悪い場合はここでタクシーを呼べと書いてあります。もっとやさしい道はあるのです。弘法大師はわざと難しい道を遍路道に設定したという伝説があります。山道のわきにボランティアの方々が書いたと思われる短冊が下がっています。最初の方は「厳しい道ですががんばってください」程度ですが、最後の方になると「泣いてもわめいても登るしかない」になります。

 登り始めて6時間で焼山寺にやっと着きました。山道で消耗しているので、この石段がつらい。オフシーズンの金曜日で山道を歩いていたのはたぶん私一人でした。けがをしたら軽いけがでも遭難します。気合を入れて歩かなければなりません。

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 焼山寺の伝説は面白い。この山には昔 大蛇が住んでいて人々を苦しめるので弘法大師が大蛇を鎮めようとした。すると大蛇は火を噴いて全山火炎に包まれた。これが焼山寺の名前の由来だそうです。弘法大師は火炎をものともせずに印を結んで法力をもって大蛇と戦ったと、まるで漫画です。弘法大師の超人伝説はたくさんあるようですが、これが最もド派手でしょう。焼山寺には奥の院があり、大蛇を鎮めた洞窟とか弘法大師が設置した仏像があるそうですが、時間的・体力的に無理なのであきらめました。

 帰りは藤井寺へのルートではなく神山町方向に降ります。途中に番外霊場 杖杉庵があります。ここは最初のお遍路 衛門三郎の終焉の地です。衛門三郎の伝説はちょっと長いので省略しますが、とても悲惨な話です。この像は力尽きた衛門三郎の前に弘法大師が現れ、ここで一度死ぬがまた生まれ変わることを告げられた場面です。その衛門三郎が持っていた杖を地面に刺したところ根付いて杉の木になったとの伝説からこの庵の名前があります。

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 神山町へは渓流に沿って車道を下って行きます。

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 バスが1時間に1本しかなくバス停で50分も待つことになりました。まわりには風をよける待合室のような場所は無く、服は汗でびしょぬれでそれが寒風で冷えて凍えそうでした。なんとか風邪を引かないで済んだのは幸運でした。この日の歩数は41000歩。1回目に来た時よりもペースが遅く消耗が大きいような気がしました。やっぱり年のせいでしょう。バスで徳島市内に戻り、この日は終了。

 

 4日目 鮎喰川(アクイガワ)流域をめぐり少し南下する。

 今日は平野部です。札所13番から17番は比較的近い距離にあり、まわりやすいルートとされています。徳島駅前7:10発のバスで一宮札所前まで行きます。久しぶりに明るくなってからの出発です。これより早いバスが無いからです。バス停の目の前が13番札所 大日寺です。道路を挟んで向かい側が一宮神社。寺と神社がセットになっているケースです。神社の方が敷地も広いし建物が大きい。ここからは道しるべに従って歩きます。

 途中にあったお地蔵さんです。上の写真は2018年11月の1回目にお遍路を回った時のもの。下は今回です。12月なのでもう柿はありません。もう来ることはないでしょうからお別れのご挨拶をしました。

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14番札所 常楽寺は巨岩の上に立っています。古代の巨石信仰との関連を思わせます。

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 この先に常楽寺奥の院があったのですが、かなり登らなければならないのであきらめました。今日もガイドブックの2日分を一日で回るので時間がタイトです。奥の院にも巨石があれば巨石信仰との関連は間違いない所だったでしょう。

 15番札所 国分寺奈良時代に全国に設置された国分寺の一つです。屋根の上に大きな宝玉があったり、なんとなく奈良時代の雰囲気のある建物群です。

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 遍路道は家や田畑の間をぬってくねくねと進みます。道しるべを懸命に探しているので退屈しません。放棄された田畑、廃屋があるかと思えば、白・クリーム色を基調とした新しい家があり、のどかな田園でもなければ市街地でもない地域です。

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 16番札所 観音寺は町の中の小さなお寺でした。17番札所 井戸寺は本当に井戸があります。

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 午前の部はこれでおしまいで、鮎喰駅を目指します。もちろん無人駅です。切符売場があるだけマシです。トイレはありません。単線で登りも下りも同じホームに来ます。吹きっさらしで寒い。このコースを歩いていたのは私と若い男性の二人。お互い口はききません。ここまでで19000歩。

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 徳島駅で昼食を取り、駅前から恩山寺行バスに乗ります。2時間に1本しかありません。なお、ガイドブックは徳島市内から恩山寺まで歩く一日コースを紹介しています。バスの中で後ろの席から老婦人に話しかけられました。話がかみ合いません。

婆「風強い~。寒~いね。」

私「徳島へ来てこんなに寒いのは初めてです。これが普通ですか?」

婆「あんたどこから来たん?」

私「〇〇です。」

婆「××かん。いくらかかるん?」

(途中省略)

私「お遍路で回ってます。」

婆「ほう。誰か死んだん?」

 地元ではお遍路の位置づけはおくやみらしい。知りませんでした。

 バス停から恩山寺の山門へは30分もかかりません。ところが、山門からお寺までが遠い。小さな山門が山の中にポツンとある感じです。昔はここまで敷地があるような大きな寺だったのかもしれません。

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 18番札所 恩山寺です。釈迦十大弟子の像がありました。

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 ここから遍路道をたどり立江寺に向かいます。途中牛小屋のそばを通り(伝染病対策のため牛には近寄らないように)、竹林の間の弦巻坂(ツルマキザカ)を通り、車道に出て、一時間ほどかかります。下の写真は弦巻坂。孟宗竹の竹林を抜けます。

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途中の遍路道がなかなかにトリッキーで、この目印を見逃すと迷います。

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19番札所 立江寺 建物自体は新しそうです。

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 立江駅はすぐ近くです。切符売り場もトイレもありません。電車の中で整理券を取って後で清算する方法です。今回乗った列車は車掌さんがいて車内で料金を払いました。今日はこれでおしまい。午後の部は1万歩でした。1日合計で29000歩。

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5日目 2番目に難所と言われるお鶴と太龍に登りさらに南下する

 今日は山道です。焼山寺の次に厳しいと言われている鶴林寺太龍寺に連続して登るタフなコースです。予定は7:30発のバスでしたが、時刻表に無い臨時便が7:05に出ました。25分早くスタート出来てラッキー。しかし、結果的には25分を食いつぶしゴールは予定よりやや遅くなりました。それだけ体力が落ちています。

 バス停を降りると登山口はすぐ見つかりました。集落の中の道を上り、ついで山道を1時間半で20番札所 鶴林寺です。焼山寺の1/3くらいの消耗度です。この山門は仁王さんの代わりに鶴が守っています。どういうわけか板でふさがれて写真に撮れません。

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 山門の鶴は写真に撮れませんでしたが、本堂の前に鶴がいました。くちばしを開いたのと閉じたのと、つまり阿(ア)と吽(ウン)がいます。二つ合わせて阿吽(アウン)です。

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 ここから下って那賀川を渡り、今度は太龍寺に向かって登ります。遍路道に青いミミズが這っていました。学名シーボルトミミズ、俗名カンタローミミズ。西日本の森林に生息する日本最大級のミミズだそうです。普通のミミズの3倍くらいの大きさがあります。こんな生物が日本にいるとは感動です。踏み潰されるとかわいそうなので、木の枝を使って森の中に放しました。

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 前半は渓流に沿ってなだらかな坂を登って行きます。こんなに歩きがいのある道はそんなに無いと思います。前を歩いているのは20代の女性です。体力差は歴然で、みるみる差が開いていきました。日曜日なので歩いている人は何人かいたようです。

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 後半は沢から尾根に登り、そこから寺を目指す急坂です。おとといの焼山寺のダメージが足に残っているのでつらい。こういう時の私の流儀は「20歩登って立ち止まり10回息をついて酸素を取り込む」を繰り返しとにかく前へ進む、いずれはゴールできるというやり方です。

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21番札所 太龍寺の山門です。歩いてくればこそ、山門が立派に見えます。

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 太龍寺から先ほどお参りした鶴林寺が見えます。この写真は2018年の1回目のお遍路の時のものです。今回は杉の枝が伸びて見えなくなっていました。よくぞここまで歩いてきたとちょっと自信がつく瞬間です。

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 太龍寺から阿瀬比バス停まで下る道は何本かあるようですが、ガイドブックは舎心嶽(しゃしんがたけ)から下る「いわや道」を勧めています。廃道となっていたものを近年に復興させた歴史的遍路道だそうです。しかし、この道は急斜面を横切る所が多く、しかもその道がとても細いので怖い。すべったら転落します。途中 反対側から来たベテランらしいお遍路さんとすれ違いました。彼はこの道は距離は近いが危ないと言っていました。別の道をとることをお勧めします。なお、舎心嶽は弘法大師が崖の上で高所に耐える修行をしたとされる場所です。私は高所恐怖症なので最初から行く気はありませんでした。

 阿瀬比バス停に着いたのは14:20。次のバスは15:47で待ち時間は約1時間半。この場所は太龍寺と22番 平等寺との中間点くらいです。迷った末 平等寺まで行ってしまうことにしました。ところがまたしても急坂があました。大根峠越えです。1日に3つ山を越えるのはつらい。「20歩登って止まって10回呼吸」を繰り返して進みます

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 峠を越えて路傍の石仏に感謝。

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 今日の最終目的地 22番札所 平等寺です。到着は15:45頃。阿瀬比バス停でバスを待っていたら、今頃ようやくバスに乗れた時刻です。つらかったが予定変更は正解でした。

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 平等寺の構内です。ここで兵庫から来た若い尼さんとお話しできました。平等寺のご住職は護摩行をしばしば行います。そこで焚く護摩(木片)をこの尼さんのお寺が供給しているそうです。ナラの木を使い機械を使わずにナタで護摩の形にするそうです。杉の木ならこのあたりににもたくさんありそうですが、ナラの木がご住職の指定だそうです。丁度その護摩行が始まるところでした。1時間以上かかる儀式だったので途中で失礼。なお、この儀式はYOU TUBEライブ配信されているそうです。

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 Google MAPではこのあたりにオヤニラミ博物館と言う施設があって清流に棲む淡水魚で絶滅危惧種オヤニラミを飼育しているとありました。時間が無いのでパス。この日は新野(あらたの)駅まで歩き、徳島に戻りました。

 今日の歩数は43000歩でした。次回はさらに南にある23番札所 薬王寺から室戸岬へ向かいます。