旅を歩く

街道を歩いた記録です。興味ある方はご参考に。

第7回 四国お遍路 土佐の高知を行く 前編

 文中に出てくるガイドブックとは JTBパブリッシングの「大人の遠足シリーズ 四国八十八ケ所を歩く」のことです。

 高知県の中部~足摺を歩きました。と言っても全部歩くのではなく列車とバスの助けを借りています。

 1日目 大雪で列車遅延。大急ぎで二つの寺を回る。

 のいち駅についたのは、もう日も傾いた午後3時。日没まで2時間半しかない。寺を2つ回れるぎりぎりでした。そこで列車を最大限活用するよう予定を変更しました。

 のいち駅から28番大日寺までは2.3km。これを参拝時間を含め1時間で往復することにしました。ちょうど小学生の下校時間だったので、彼らと競争のように歩きました。寺に近い所で旧遍路道の道標があり、そこを歩くとまもなく大日寺の山門に着きます。

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 大日寺の境内には参拝のご夫婦と私のみでした。本堂と大師堂に般若心経を読み、すぐ駅に引き返しました。本来であればここから徒歩で29番国分寺へ向かうところですが、9kmもあるので途中で日没になってしまいます。このルートはあきらめ列車を使うことにしました。

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 のいち駅に帰って午後4時着。4時10分発の列車で後免駅に向かいます。後免駅と29番国分寺の距離は約2kmなので日没前に参拝可能と考えました。ただし、このルートは遍路道ではないので道しるべはありません。ガイドブックにもありません。地図と携帯のナビが頼りでした。なんとか国分寺に着いたのは日没直前でした。夕日に照らされた山門はとても雰囲気あり、諦めずに来てよかったと思いました。88カ所のうち国分寺の名を持つ寺は、各県に1寺づつ、4寺あります。いずれも天平時代 聖武天皇の仏教による治世の方針に従い各地に作られた国分寺が起源です。従って、言わば国立なので敷地が広く大きな寺が多い印象です。

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 とても立派なお寺で、諦めずに来てよかったとまたまた実感しました。ここで午後5時になり。誰もいないのに鐘が鳴り出しました。この鐘楼は自動鐘撞装置で無人で鐘を撞く仕掛けになっていました。

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 大きな方は本堂で、戦国時代の土佐の英雄 長曾我部国親・元親親子によって再建された重要文化財。左の大師堂も江戸時代に作られた立派なもの。

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 参拝を終えて後免駅に引き返す間に日が沈みました。それでも真っ暗になる前に駅に到着し、高知駅まで移動して宿泊しました。今日の歩数は15000歩。距離はたいしたことはないが、大急ぎで歩いたので消耗しました。

 

 2日目 高知市内をめぐる。

 今日は歩行距離が長い日です。土佐一宮(「とさいっく」と読む)駅についたのは日の出時刻頃。目指す30番善楽寺土佐神社の隣にあります。地元では土佐神社の方が有名で電信柱に道標があるので、これを頼りに行けばよい。下の写真は寺ではなく神社の山門です。参道も非常に長い。

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 これは土佐神社。長曾我部元親が建立した。土佐の国の鎮守です。

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 30番 善楽寺は巨大な土佐神社と比べてしまうとこじんまりと見えます。地元の方々が朝のお参りをされていましたが、神社・仏閣にこだわりなく両方にお参りされているようでした。

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 30番善楽寺から次の31番竹林寺までは8kmあり、2時間ほど歩き続けなければなりません。この間は市街地なので道が複雑で、道しるべが頼りです。高知県徳島県ほど熱心ではないとの印象で、この道しるべを探すのに苦労します。下の写真のように車の往来が激しい道路も遍路道です。正面の山が竹林寺のある五台山。

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 五台山への登り道は急坂です。途中 石がゴロゴロでスピードが出ません。しかし、ここで足首をひねったりしたらこの後の歩き旅を断念することになりかねないので慎重に進みます。

 途中で遍路道は牧野植物園の中を通ります。植物園の見学には入園料が必要ですが、お遍路は無料で通過できます。3年前に来た時は入園料を払ってゆっくり見学しました。この植物園は私がこれまで見学した植物園の中では最高のレベルにあります。ここを管理している人たちの技術力とモラルの高さを感じました。植物を育てることに苦労したことがある人には、この植物園の価値がわかると思います。興味のある方は是非ご見学ください。今回は先を急ぐのでパスしました。

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 31番 竹林寺には9時半ごろ到着。本尊は知恵の神様とされている文殊菩薩です。ちょうど受験シーズンで、祈祷してもらうために受験生と親が次々と本堂に入って行きます。

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 竹林寺の山門と本堂の間の苔の庭。本堂の裏の庭園が有名だそうですが有料だったのでパスしました。

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 この苔の庭に小さなお堂があります。ここの狛犬は子犬をあやしながらお堂を守っています。狛犬の表情が、どことなく柔和でした。

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 よさこい節にある「土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た」は実話で、竹林寺はその坊さんがいた寺として有名です。しかし、寺としては名誉とは思っていないらしく、その説明は一切ありません。

 32番 禅師峰寺まで7km。田園の中を進みます。そろそろ疲れてきます。水田の荒起こしが始まっていて、掘り起こされたミミズや虫をねらってサギがトラクターの後を追っていました。

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 32番 禅師峰寺には11時過ぎに到着。山の上にあるので一汗かきます。山頂の敷地が狭いうえに奇岩がニョキニョキと立って密度が高い寺です。ここから土佐湾を見渡せます。ここでコンビニのおにぎりで昼食。

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 山を降りて33番 雪蹊寺に向かいます。県道278を歩いて行きますが、Goo地図には32番奥の院が出ています。

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 下の写真のお堂がその場所にありました。表示が何もないので確認できませんが、これが32番 禅師峰寺奥の院でしょう。昔はこのあたりが海岸線でこのお堂は海岸に立つ隠れた祈りの場だったのではないでしょうか。

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 県道278は種﨑~長浜間で海の上を通ります。ここは1時間に一本のフェリーがあります。この区間に橋もありますが、遠回りになるので、歩行者、自転車、バイク(4輪車は載せない)、特に中高校生に需要があるようです。しかし、1時間に一本しかないのは不便です。私が乗った船の乗客は6名でした。船の名前は龍馬号。船も乗員も高齢でした。10分間の船旅でした。料金は無料です。県道ですから。

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 船から降りて少し歩くと小さな神社がありました。立札の説明によると祭神は宇迦魂神という古事記にも日本書紀にも出てこない謎の神だそうです。四国にはこのような謎の神が何人かいるようです。f:id:tanemaki_garden:20220123064008j:plain

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 33番 雪蹊寺には午後2時頃到着。建物自体は新しい。

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 雪蹊寺の隣に秦神社があります。祭神は長曾我部元親です。もともと彼の霊は雪蹊寺に祭られていましたが、明治の廃仏毀釈雪蹊寺が廃寺となり、秦神社を建ててここに霊を移したのがこの神社のはじまりと説明があります。その後 雪蹊寺は檀家たちの尽力で再建されています。お遍路の札所といえども廃仏毀釈のダメージを受けていました。もともと神仏習合で仏と神様は仲良くやってきたが、明治政府が無理やり分断したと東洋大師の和尚さんが言っていました。これが起こったのは明治の早い時期、明治3年でした。何かと過激な思想が横行していた時代だったのでしょう。

 なお、長曾我部という珍しい名字は彼らが渡来人だったことに由来するそうであり、その先祖の名前は秦だったそうです。中国系で秦の始皇帝の血筋を引くということになっていたらしい。

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 この日はこれでおしまい。近くのバス停から高知市内に戻りました。バス停の待合室にて老人と談話。これほど寒いことは稀であると。そうしているうちにバス一本が通過してしまいました。地元の人にとっても路線バスはわかりにくい。

 高知の楽しみは鰹のたたきです。新鮮な鰹は臭みが無いのでショウガは不要。タマネギ、ニンニク、ポン酢ダレ それに日本酒の相性は最高です。店を替えながら4日連続で食べました。写真ははりまや橋の司本店のもの。費用は税込み1500円+酒代とリーズナブル。

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 ほろ酔いで宿へ戻る途中にあった八幡社。正月飾りを燃やした焚火がまだくすぶっていました。

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 高知駅前に幕末の3英傑の像が立っています。この人たちは誰でしょう?真ん中は誰でも知っている人です。左の人はその有名な人の盟友。右側の上級武士の格好をした人がわかる人はかなりの歴史マニアです。

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 3日目 春野~土佐市をめぐるが、津波注意報で少しルート変更

  夜中に津波注意報が出ました。午前2時の気象庁の記者会見をテレビで見ましたが、滑舌が悪すぎて大変聞き取りにくい。記者たちには書類が配られているようですが、音声だけで聞いている我々は何が起こっているのかわかりません。ともかく明日は海に近づかないことにしました。従って36番 青龍寺は断念することになりました。

 行程が短くなったのでゆっくり出発。高知駅 バスターミナル 7:39発のバスに乗りました。ターミナルからは桂浜行のバスが時刻通り出て行きました。注意報は関係ないようです。新川通りバス停に8:20頃着。ここまで乗った乗客は私一人。この日はバス代が無料の日でした。680円ほど得しました。あじさい通りと名付けられたまっすぐな道をどんどん歩き、春野町役場方向に右折、やがて種間寺の標識が見えてくる。34番 種間寺は農村の中の小さな寺でした。畑の中をキジが歩いていました。

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 ここでもトラクターの後をミミズや虫をねらってサギがついて歩いていました。

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 34番 種間寺の参拝者は朝早いこともあり私一人でした。日差しは強いが手水には氷が張っていました。今日は2つの寺しか回らないのでのんびりと過ごしました。

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 種間寺を出たところで清滝寺の矢印が左に出ていたのでそちらへ向かいましたが、これが失敗。この矢印は自動車向けで歩き遍路には遠回りになる道でした。自動車用と歩き用で道が異なることに要注意。結局、車用の道を行くことになり30分以上損しました。

 下の写真は仁淀川大橋からの眺め。山の中腹にあるのが35番 清滝寺。ジグザグに見えるのは車道で、歩き遍路道は森の中を直登します。この大橋から川の堤防を歩いて行きます。そして道しるべに従い堤防から一度国道に降りて右折して遍路道を行きます。少し早いが国道沿いの牛丼屋で昼食にしました。ここ数日 昼食はコンビニのおにぎりばかりだったのですごくおいしく感じました。

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 山登りの遍路道で大汗をかいてやっと山門にたどり着きました。

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 先程の山門からさらに石段を登って35番 清滝寺に着きました。

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 清滝寺の本堂の横に小さな滝がありました。おそらくこれが清滝寺の名前の由来でしょう。遍路道のわきにずっと水が流れていましたが、その水源はこの滝でしょう。

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 先程とは逆に清滝寺から仁淀川大橋を眺めました。あそこから延々と歩いてきたのです。

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 清滝寺の境内に高岳親王(たかおかしんのう)の塚がありました。この人は平城天皇の第3皇子だが、薬子(くすこ)の乱に敗れ出家しました。空海について修行し、若い頃は清滝寺にいたと言われています。その後、高野山で高い位につき、空海の葬儀にも立ち会っています。高齢になってから唐に渡り天竺(インド)へ行こうとしてラオスあたりで死去したとされます。この写真の森は「いらずの森」、つまり立入禁止とされています。立入禁止とする理由は普通はお墓である場合が多いなど、いろいろ想像することはできます。お遍路の旅をしていると、このようにものすごい人のものすごい話に出会うことがあります。

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 山を降りる時に遍路道以外の道を行こうとしてひどく遠回りをしました。一度気が緩むとなかなか戻りません。土佐市内からバスで高知市に戻りました。この日の歩数は3万歩。

 今回は36番 青龍寺には行けませんでした。88カ所を回る中で行けない札所がこれからも出てくるでしょう。一通り回り終わった後で、行けなかったところだけ拾うことにしようと思います。特に青龍寺は重要な寺と思っています。唐にいた空海が独鈷(仏具の一種)を投げたところこの青龍寺の場所まで届いた。空海の超人伝説のうちでも有名なものです。そこで空海はここに寺院を作り、唐で修行していた寺と同じ名の青龍寺と名付けたとされます。3年前に訪れていますが、空海の師匠である恵果の墓があったり、この寺は88カ所の中でも特別なのではないかと思っています。その時奥の院まで行きましたが、お堂に至る石畳の前に「靴を脱ぐように」との立札がありました。野外で靴を脱がされたのは初めてでした。なお、この奥の院空海の投げた独鈷が届いた場所と言われています。下の写真は独鈷(写真はネットから採取)。青龍寺には、いつになるかわからないが、後日来ることにします。

極上品 密教 法具 前具 五鈷杵 三鈷杵 独鈷杵 真鍮銅器 細密細工 古美術品[d578]

 4日目 四万十川の周りを歩く。

 今日は列車に乗っている時間が長い日です。

 高知駅8:20発の特急で窪川へ向かいます。窪川着は9:26。37番 岩本寺は駅から10分ほどのところにある小さな町の小さなお寺です。しかし、この寺は36番 青龍寺から約60km、次の38番 金剛福寺までは約90kmのところにあるので、歩き遍路にとっては大変に重要な寺です。

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 窪川駅に戻り平田駅まで列車で移動しました。平田駅には12時前に着きました。少し離れた国道・宿毛街道沿いに食堂があったので、そこで昼食にしました。そこから国道をしばらく歩き看板に従って右折し、39番 延光寺まで約40分くらいで着きました。先ほどの岩本寺は37番、この延光寺は39番、この間に足摺岬にある38番 金剛福寺があります。このような手順前後は特に気にしないで良いようです。

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 39番 延光寺高知県最後の寺。足摺岬にある38番 金剛福寺から60km以上もあります。

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 地図には近くに奥の院があることになっていましたが、見つからずに断念しました。当初の予定は平田駅に戻って宿泊地の中村までの列車移動でしたが、まだ1時過ぎなので明後日の松尾峠越えの登り口に近い宿毛まで歩くことにしました。

 宿毛までは国道の歩道をずっと歩いて行きます。松尾峠登り口に近いのは東宿毛駅です。そこに14:50頃到着しました。ところが15時台には列車が無く、次の列車を1時間半ほど待つことになります。しかもこの駅は無人駅で駅舎が無く吹きっさらし。そこで宿毛駅まで歩き、そこの待合室で列車を待ちました。この日の歩数は22000歩。

 長くなったので、ここで一度 閉じます。後編に続く。