旅を歩く

街道を歩いた記録です。興味ある方はご参考に。

第19回 東海道 箱根峠を越えてみた。

 一日目 小田原駅から箱根関所跡まで

 今年の初歩きは箱根道にしました。1/21土曜日 小田原駅に朝8時到着。まず、東口へ出るか西口へ出るかで5分ほどロスしました。準備不足を露呈です。東口を出て国道一号線を西に向かって歩き始めました。ところがここでトラブル発生。

 今年になって左足のアキレス腱が痛み出しました。さては断裂したかと心配しましたが、ちゃんと動くので断裂ではありません。調べたらアキレス腱炎らしい。筋肉に繰り返し負担をかけると筋肉だけでなく血管と神経が増えます。その血管が神経を圧迫して痛みが出るとのこと。歩き出して血流が増えると痛くなるので始末に悪い。外見には異常はありません。治療法は安静にすることだそうです。下の写真は アキレス腱炎 | 慢性痛治療の専門医による痛みと身体のQ&A (https://okuno-y-clinic.com › itami_qa › achilles)より取ったものです。

アキレス腱炎の足

 痛む左足を引きずるようにして一歩一歩前に進むという難行苦行状態になってしまいました。それでも原因が分かっているので気は楽でした。

 小田原の街はさすが湘南だけあってなぜか洒落ていました。三枚橋で左折して県道に入ると箱根湯本の温泉街です。と言ってもまだ1/3くらいしか歩いていません。箱根と言う地域はとても広いのです。ここから坂道が始まります。湯本~奥湯本とすぎて須雲川(すくもがわ)の手前に旧道入り口があります。

 旧道はよく整備されていました。

 この橋は正式ルートです。我が目を疑いました。年を取るとバランスが悪くなります。気合を入れて渡りました。

 江戸時代の石畳が保存されています。大変歩きにくい。しかし、泥道よりはマシなのでしょう。

 昼頃 畑宿を通過。箱根細工店や蕎麦屋があります。蕎麦屋でとろろ蕎麦を頂きました。寒波の中でしたので暖かい蕎麦がありがたい。その蕎麦屋を出たところに一里塚がありました。路の両脇に保存されていました。

 箱根道最大の難所と言われた橿木(かしのき)坂。苦しくてドングリほどの涙が出たところからこの名前になったらしい。急ですがそれほど長くありません。今は石段になっています。

 箱根道はだいたい車道を合流したり横切ったりしながら進んでいきます。写真は甘酒茶屋。茅葺きの立派な建物です。甘酒とお餅がおいしいらしいが、蕎麦を食べたばかりだったので残念ながら通過。

 元箱根(芦ノ湖湖畔)まで40分の表示です。あと少し。

 今日のゴール 箱根関所跡にたどり着いたのは午後2時半。6時間半かかりました。距離は18kmしかないのですが、登りが800mほどあります。石畳が歩きにくいのと左足のアキレス腱が痛いので時間がかかりました。坂道と石畳で歩幅が狭くなり歩数は32000歩もかかりました。

 寒波襲来にもかかわらず街道を歩いている人と20人ほど出会いました。人気のあるルートのようです。

 箱根の観光宿はコストが高いので小田原まで降りてビジネスホテルに泊まる計画でした。ところが土曜日の午後だったので大渋滞でバスが動かない。途中 小涌谷箱根登山鉄道に乗り換えましたが、この鉄道が単線で駅ごとにすれ違いを待つのでものすごく遅い。スイッチバックで急坂を下るなど珍しい経験はできました。結局 小田原まで3時間以上かかりました。

 バスは小田原までまっすぐ降りるのではなく、温泉場を次々に回って行きます。箱根には膨大な数の温泉とホテルがあり、廃業したところもあることはあるが、他の温泉地よりは維持できている印象です。適度な距離にある観光地として成功しているということでしょう。芦ノ湖畔はたくさんの観光客でした。中国人が少ないとニュースで言っていましたが、たくさんいました。

2日目 箱根関所跡から三島駅まで

 例によって始発バス(6時15分発)で小田原駅を出発。早朝なので渋滞は無く7時過ぎに箱根関所跡に到着。乗客はホテルの従業員と思われる人々で、温泉場で次々と降りて行き、最終的には私一人でした。

 写真はアオサギオオバン。3羽一緒にいたのでカメラを向けたのですがオオバンが逃げ出してしまいました。 

 

 旧道の入り口にあった石仏群。これまで歩いてきた中山道に比べると箱根路は石仏や祠が非常に少ない路です。この路が江戸幕府が拓いた街道で、生活道では無かったことが原因ではないかと思います。ここの石仏も近くの集落からの移設だそうです。 

 箱根峠へ登る山道です。

 ここが箱根峠です。自動車道やゴルフ場の入り口が入り組んでいて風情はありません。

 途中にあった「雲助徳利の墓」。大名の剣術指南をやっていた男が酒の飲み過ぎで事件を起こし解雇され箱根で雲助になった。剣術ができるので雲助たちを武士から守ってやったり、文字の読めない雲助たちに手紙を読んでやったり、雲助たちに慕われた人だそうです。亡くなった後、彼を慕う雲助たちによって、彼が好きだった酒徳利を墓標にした墓が建てられたとのこと。なんかジワッとくる話でした。

 三島まで降りてきました。箱根路の碑です。なお、この路の途中にある山中城跡は規模の大きい城跡で見ごたえはありそうでした。残念ながら足が痛くて見て回る余裕がありませんでした。

 三島市 初音ヶ原の松並木。並木の間にあるのは国道1号線です。この松並木を維持したということはこの地域の人々の民度の高さを示していると思います。

 松並木の中にある錦田一里塚。1号線を挟んで両側に塚が残っています。江戸時代当時からかなり広い路だったことが分かります。

 三島大社に到着したのは11時半。そこから駅まで歩いて新幹線で帰路につきました。三島は湧水の街で水路の水がきれいでしたし、ところどころ富士山の溶岩が露出していて面白い光景がありました。この日の歩数は27000歩でした。ところがまたまたトラブル発生。今度は停電事故で新幹線が動かなくなりました。幸い隣の小田原駅まで到達したので、そこから鈍行列車で帰宅しました。

  アキレス腱炎はその後やや治まっています。しかし、トレーニングすると再発しそうです。毎年一つずつ古傷が増える感じです。