旅を歩く

街道を歩いた記録です。興味ある方はご参考に。

第21回 日光を歩く

 1日目 日光のパワースポットを巡り杉並木を歩く

 日光街道は既に幸手~日光間を2018年に通して歩いています。今回は逆に日光から今市まで杉並木を歩き、列車で小山まで行って宿泊、小山から古河まで思川堤防を歩く1泊2日を旅しました。東武特急「けごん」はほぼ満席。しかし、途中で次々と降りて日光へ着いた時は1/3程度の乗車率でした。車窓から見た日光連山(男体山と女峰山)です。

 東武日光駅到着は8時半頃。駅前から緩いまっすぐな登り坂を歩いて神橋(しんきょう)に到着。ここから先は神域に入ります。下を流れる川の水はきれいでした。川の名前は大谷川(ダイヤガワ)。いい名前です。

 参道を上がって、輪王寺東照宮二荒山神社を過ぎ、女峰山登山道を登って行くと、登山口に役行者(エンノギョウジャ)を祭った祠があります。役行者飛鳥時代に実在した人物で山岳宗教・修験道創始者とされます。私はここが日光最大のパワースポットではないかと思っています。

 下の写真は2018年にこの祠を訪ねた時のものです。ある人に見せたら心霊がいくつか写っていると言われました。私にもお堂の右にひざまずいて祈っている人の姿が見えます。ここには夜には来ない方が良さそうです。今回の写真には私の見る限り心霊らしきものはありません。

 この写真は今回撮ったものです。2018年の写真に写っていた祈りを捧げる人のいたあたりを撮っています。私には特に不思議なものは見えません

お堂を通り過ぎて坂を降りると白糸の滝があります。

 この滝の上に瀧尾(たきのお)神社があります。女峰山の女神 田心姫命(たぎりひめ)を祭っています。この女神は国津神の長 オオナムチ(別名大国主)の奥様だそうです。この3本杉がご神木で、ここに女神が降臨したとの伝説があります。ここから女峰山が見えるとのことでしたが木が繁ってしまってほとんど見えません。わずかに山頂らしきものが見えます。 

 ところでオオナムチは日光の二荒山神社の祭神です。この神社の奥宮は男体山にあります。この神は大和の三輪山(大神(オオミワ)神社)の祭神でもあります。三輪山男体山は丸くてなだらかな形が似ています。女峰山はゴツゴツして険しい山です。険しい方を女性にしたのは三輪山に似ている方を男性にしなければなかったからではないかと思います。 

 なお、この瀧尾神社は弘法大師が創設したことになっています。仏教の人 弘法大師が神社を創設するとは奇妙です。日光山自体が仏教の僧侶である勝道上人によって9世紀頃開かれていて彼は神社も創建しています。この頃は仏教と神道の間に線引きする必要も無かったのでしょう。

 瀧尾神社から神橋に向かって山道を降りて行きます。土曜日でしたがあまり人はいません。東照宮などは混雑していましたので、ここまで来る人が少ないということです。途中に天神様がありました。菅原道真が日光を参拝したことがあったそうです。

 この建物は開山堂。日光を開いた勝道上人を祭っています。お堂と寺院の間に丸い石を重ねた小さな塔が見えますが、これが彼の墓です。

 開山堂の裏の崖は仏岩と呼ばれています。以前は仏の形が浮かび出ていたそうですが、地震で崩れてしまい、今は名前だけ残っています。石仏がありました。石仏としてはかなり複雑な像です。

 神橋まで降りてきました。この写真は神橋の近くにある本宮神社。祭神はオオナムチの息子であるアジスキタカヒコネで農耕神だそうです。日光三社 二荒山神社、瀧尾神社、本宮神社はそれぞれオオナムチ、オオナムチの妃、オオナムチの息子を祭っていることになります。ここは国津神中心の世界でした。

 東照宮や大猷院は無視して先へ進みました。日光駅前のファミレスで食事を取り、今市まで日光街道を歩き出しました。世界遺産の日光杉並木です。だいぶ植樹更新されていて、本来の樹齢370年の樹はわずかです。杉並木が国道日光街道になっている場所もあります。交通量が多いのに狭くて歩道が無く歩きにくい。この写真は国道から分岐して遊歩道になっているところです。

 なお、私は花粉症ではありません。それでもさすがにこの頃はくしゃみが多くなります。ところが、この杉並木を歩いていて、花粉を浴び続けているはずなのに、くしゃみが出ません。観光客が10数人いましたが、皆平然としていました。

 花粉症とは花粉だけが原因ではないのではないかと私は昔から思っています。なぜなら杉に囲まれて暮らしている田舎の人よりも東京近辺の人に花粉症が多いような気がするからです。

 今市の杉並木公園にある旧江連家住宅です。庄屋の家を移築したもので、大変立派です。

 杉並木に建つ高靇(タカオ)神社。祭神は大山祇神オオヤマツミノカミ)。古事記ではイザナギイザナミの子とされますが、古代から伝わる山の神、水の神と考えた方が良いとWikipediaにはあります。日光周辺には同名の神社が多数あるそうです。

 今市にある例幣使街道(レイヘイシカイドウ)と日光街道の合流地点。例幣使街道は京都からの勅使が日光東照宮を参拝するために作られた街道で、高崎で中山道から分岐して日光まで来ています。勅使を担う公家たちにとっては徳川の墓参りなどは屈辱的であったようであからさまに賄賂を要求するなど大変行儀が悪く、街道沿いの民衆から嫌われたそうです。江戸時代の公家は権力を失って大変困窮しており、例幣使(勅使)を勤める中で得られる賄賂が重要な収入源で希望者が多かったと言う話もあります。

 今市市内から眺めた女峰山です。

 例幣使街道の杉並木の方が日光街道よりも古い樹が多く残っている印象です。さすがに樹齢370年となると巨大で、進撃の巨人の終わりの方に出てくる超大型巨人の大軍を連想しました。

 

 今市駅からJR日光線に乗って小山まで移動。JR日光線は1時間に1本しかありません。この日は26000歩でした。

 2日目 思川の堤防を小山から古河まで歩く

朝7時にホテルを出発。この写真は小山市役所の近くにある小山評定跡です。会津の上杉の挑発に乗った、あるいは乗ったふりをして攻め上ってきた徳川家康石田三成の挙兵を知ってここから引き返したとされます。関ケ原の戦いの始まりです。

 小山城、別名祇園城跡です。代々の将軍が東照宮参拝の時に宿泊するために整備された城です。今は土塁と石垣しか残っていません。ここで日光街道から離れて思川(おもいがわ)の堤防を古河まで歩きました。Google Mapには堤防の道がところどころ表示されません。このMapは自動車優先で、登山道など歩行者用の道は表示されないことが多い。昔あった25000分の一の地図は最近見かけなくなってしまいましたが、こういう時には欲しいと思います。

 小山市内は遊歩道が整備されていて気持ちよく歩けます。なお、小山から引き返した徳川家康は思川を船で江戸まで行ったそうです。思川は渡良瀬川そして利根川に合流して関東へ流れています。

 桜並木がありました。今でも立派ですが、あと10年くらいすれば桜の名所になると思われます。

 小山市古河市の境目付近で堤防上の道がわからなくなりました。方向はわかっているのでスマホの地図を頼りに適当に歩きました。途中で出会った寒川古墳です。北関東には古墳がたくさんあります。大和王権の象徴である前方後円墳ではなく円墳です。国津神を祭神とする神社が多いことを見ても、大和の勢力が届きにくい場所だったのではないかと思います。

 石仏がきれいに残っていたので1枚撮りました。関東地方は庭に祠を建てる農家が多かったり、集落ごとに鎮守の神様がいたり、割と信心深い所だと思います。反対にこのような祠やお堂の類がほとんど見つからないのが薩摩など南九州です。ただし、それほど南九州を詳しく歩いたことは無いので間違っているかもしれません。

 古河市に入ると遊歩道が堤防の上ではなく河川敷に敷かれています。まわりは湿気に強いハンノキを中心にした密林になっていて、イノシシやマムシがいるそうです。河川敷なので年に数回は水没します。野生動物にとっても住みやすい環境ではないと思います。しかし、こういう所をゴミ捨場と心得る心の貧しい人たちが多いのが悲しい。

 古河の雀神社です。祭神はオオナムチ、事代主(コトシロヌシ)、少彦名(スクナヒコ)のおなじみの国津神たちです。ここで一応ゴール。遊歩道を離れ駅に向かいました。

 古河から見た日光連山です。本当はこの光景を見たかったのですが、この日はくもりで山は見えず。この写真はGoogleのStreet Viewです。手前は古河ゴルフリンクス。現役時代に農薬の試験で大変お世話になりました。河川敷なので年に数回水没します。日本芝は維持が困難で、生育の早い洋芝(ティフトン芝とペレニアルライグラス)を中心に作られています。グリーンはベント芝です。 

 このあたりには古河城というお城がありました。将軍の東照宮参拝のための宿泊地として整備されたお城の一つです。古い写真を見ると渡良瀬川の堤防の上に立ち、川と水堀に囲まれた水の城だったようです。ところが明治政府はこの城を完全に破壊して普通の堤防に変えてしまいました。今は石垣の痕跡さえ残っていません。渡良瀬川は暴れ川で周辺住民は洪水に苦しめられていました。お城を保存する余裕はなかったのでしょう。同情の余地はあります。しかし、日本文化の価値を重視していなかったのは大変残念です。

 小山~古河は現役時代の終わりごろ、ゴルフ場資材の技術担当だったのでゴルフ場で現地試験をやらせてもらっていた関係で頻繁に訪れていました。あれからもう5年もたってしまいました。

 古河駅には12時頃到着。歩数は27000歩でした。この程度の歩き旅なら、年を取ってもできそうだと思いました。