旅を歩く

街道を歩いた記録です。興味ある方はご参考に。

第20回 房総半島先端部にてパワースポットを巡る

 四国へお遍路に歩いていた時、室戸岬には夫婦岩があり、足摺岬には竜宮神社と唐人遺跡があり、古代文化の痕跡を感じさせる場所があることに気がつきました。同様に黒潮流れる房総半島の岬には視点を変えてみれば何か痕跡が見つかるのではないかと興味を持って歩いてみました。

 房総半島先端部は小さな丘陵地帯になっていて、おそらく昔は島だったのではないかと思われます。気候もここだけは亜熱帯に近い。ところが、またしても寒波襲来で寒風・強風に吹かれながら歩くことになりました。

 館山駅には朝8時到着。そこからJRバスで見物海岸まで行って7kmほど歩く距離を節約しました。70歳過ぎたので無理はしません。

 洲崎(すのさき)灯台です。大正8年(1919年)創建だそうで104年前の建築物です。三浦半島の剱埼(つるぎざき)灯台と対になって東京湾の門灯の役割を果たしてきました。

 洲崎灯台から見た伊豆大島。富士山が見えれば大吉、大島が見えれば中吉だそうで、今日は中吉でした。

 洲崎(すのさき)神社です。

 祭神は以下のようにかなりローカルな神々でした。四国の忌部(いんべ)一族が天富命(あめのとみのみこと)に率いられて入植しこの安房の地を開拓したとあります。四国の阿波と房総の安房は繋がっていました。

 神社と隣にある養老寺の間に役行者(えんのぎょうじゃ)の祠がありました。役行者飛鳥時代に実在した人物で山岳宗教 修験道創始者とされます。富士山遥拝所があり、景色を楽しみにしていたのですが、天候が悪く富士山は見えませんでした。

 浜鳥居と海岸の間に転がっていた御神石(おかみいし)。三浦半島にある安房口神社と対をなして東京湾を守る結界を作っているとされます。

 おそらく天富命と忌部一族が海から上がって来たことを象徴していると思われます。

 洲崎神社から野島崎をめざして房総フワラーライン(国道410)をひたすら歩きました。この写真の平砂浦(へいさうら)地区は歩道がきちんとしていて安全に歩けます。どこかの大学の陸上部がマラソンの練習をしていました。しかし、他の地区は路が細くて歩道が無く、車を避けながら歩かなければなりません。幸いオフシーズンの平日だったので交通量が少なくて助かりましたが、ハイシーズンの祭日に歩くのはお勧めしません。菜の花もそろそろ終わりでした。

 海岸に沿って別荘やホテルが多数あります。津波を心配してしまいますが、入江ではないので津波はそれほど立ち上がらないようです。ただし、将来起こるであろう南海トラフや首都直下地震が元禄地震程度で済むかどうかわかりません。

 安房神社の裏山は野鳥の森になっています。そこから眺めた平砂浦(へいさうら)です。砂鉄を含む黒っぽい砂が砂丘を作っています。ここをずっと歩いて来ました。

 安房神社にある天富命(あめのとみのみこと)の社です。洲崎(すのさき)神社の祭神であり、忌部(いんべ)族のリーダーとして四国から来た人です。

 安房神社にある弥生時代の洞窟遺跡跡。発掘調査の後 埋め戻されて看板しかありません。しかもトイレの裏なのでかすかにアンモニア臭がします。

 前述の弥生遺跡から発掘された人骨が埋葬された忌部塚(いんべづか)です。弥生時代の人骨ではありますが、忌部一族のものとは確定されていません。

 忌部塚に立てられていた説明文です。

 安房神社から海岸沿いを南西へ野島崎を目指して歩きました。海岸の岩は洗濯板状になっています。堆積岩の地層が横倒しになったわけで、激しい地殻変動の跡です。

 野島崎灯台。ここが房総半島の最南端です。

 野島崎到着は16時半。岬の付け根にある観光ホテルに投宿しました。旅行振興政策が効いてホテルはほぼ満員でした。この日の歩数は36000歩。神社の境内を遺跡を探して歩き回ったので歩数が多くなりました。

 翌朝 8時前にホテルを出発。昨日に増して強風、しかも向かい風でした。まず、野島崎にある厳島神社に参拝。鳥居近くに子孫繁栄の象徴がありました。このようなおおらかな風習は各地にあります。

 石仏作りの名人が彫ったと言われる七福神

 海岸沿いを千倉を目指して歩きました。ハマダイコンが咲いていました。塩害に強い海岸特有の植物です。

 寒波、強風、大しけの中 命がけで磯釣りをする人がいました。

 高塚不動に立ち寄ってみました。寺院は新しいものですが、本尊の不動明王は海に浮かんでいたものをイワシカニが運んできたとの伝説あり。この地域の人はイワシカニは食べないそうです。

 高塚不動の奥の院を目指して山に登り始めましたが、かなりの急斜面だし裏山の断崖を見ると足がすくむので諦めて引き返しました。このお寺の隣に高皇産霊(タカミムスビノカミ)神社がありました。この神は高天原に出現した初期の神で、皇室の祖先神にあたります。この神社の二の鳥居の足元に蛇岩と呼ばれる岩があります。どかそうとしたら複数の頭を持つ蛇が現れて作業の邪魔をした。神のお使いであろうと判断してこの岩をそのままにしたとの伝説があります。複数の頭を持つ蛇はヤマタノオロチを連想させます。さらにヘビは国津神の主神である三輪の大国主の化身です。つまり天津神であるタカミムスビ国津神との争いが伝承されているのではないかと想像というか妄想しました。

 神社を背にして海の方を眺めました。神様はずっとこの光景を見ているわけです。

 高塚不動も高皇産霊神社も低山ながら険しい山を背景にしています。この山に沿って寺院が点在しています。しばらくは海から離れて田畑の中の道を歩きました。

 千倉に近いところにある屏風岩と呼ばれる岩礁です。堆積岩の地層が横倒しになったもので激しい地殻変動があったことがわかります。

 千倉駅には11時半に到着。ちょうど来た列車に飛び乗って帰宅しました。この日の歩数は19000歩でした。

 今回は2つの御神石が作る東京湾入口を守る結界の話とか四国から来てこの地を開拓した忌部一族の痕跡とか、それなりに面白いスポットを見つけました。例えば10~11月のもう少し気候の良い季節に、もっとバスを活用して楽をするように工夫して、もう一度この路を歩きたいと思いました。