旅を歩く

街道を歩いた記録です。興味ある方はご参考に。

第4回 四国お遍路 徳島編 後編

 道順などはJTBパブリッシングの「大人の遠足シリーズ 四国八十八ケ所を歩く」を参考にしています。文中では「ガイドブック」と呼んでいます。

3日目 八十八カ所最大の難所 遍路ころがしの急坂を行く

 まだ暗いうちにホテルを出発、列車で鴨嶋駅に向かいます。夜明けと同時に駅を出発し、約1時間で11番札所 藤井寺に着きます。山のふもとの小さな寺です。

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 境内の隅に12番札所 焼山寺への登り口があります。

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 道の入り口近くには八十八ケ所の名前を付けたお堂が並んでいます。ここにお参りすれば八十八カ所を回ったことと同じになるということらしい

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すぐに急な登りになります。しかし、これは「遍路ころがし」ではありません。この先の急坂はこんなものでない。
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 長戸庵です。足腰を痛めた旅人が弘法大師に治してもらったとの伝説があります。こんなところを旅人が通るのはおかしいのです。おそらくこのあたりに集落があったのではないかと思います。

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 途中に見晴らしの良い場所があります。昨日 横断した吉野川の中州、善入寺島が見えます。

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 「遍路ころがし」です。1/6との表示がありました。6カ所あるということです。

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 左右内(そうち)の一本杉。階段の上に弘法大師の像があります。お堂もいくつかあり、集落跡かもしれません。

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 別の角度から見た左右内の一本杉。

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 これらも「遍路ころがし」です。どこに足を置いていいかわからない。四つん這いで登ります。雨の日は危険でしょう。

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 焼山寺へ行く道は登り下りが多くあります。つまり、せっかく登っても下らなければならず、そしてまた登ります。精神的につらい道です。途中に左右内集落という村があり、ガイドブックには体調が悪い場合はここでタクシーを呼べと書いてあります。もっとやさしい道はあるのです。弘法大師はわざと難しい道を遍路道に設定したという伝説があります。山道のわきにボランティアの方々が書いたと思われる短冊が下がっています。最初の方は「厳しい道ですががんばってください」程度ですが、最後の方になると「泣いてもわめいても登るしかない」になります。

 登り始めて6時間で焼山寺にやっと着きました。山道で消耗しているので、この石段がつらい。オフシーズンの金曜日で山道を歩いていたのはたぶん私一人でした。けがをしたら軽いけがでも遭難します。気合を入れて歩かなければなりません。

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 焼山寺の伝説は面白い。この山には昔 大蛇が住んでいて人々を苦しめるので弘法大師が大蛇を鎮めようとした。すると大蛇は火を噴いて全山火炎に包まれた。これが焼山寺の名前の由来だそうです。弘法大師は火炎をものともせずに印を結んで法力をもって大蛇と戦ったと、まるで漫画です。弘法大師の超人伝説はたくさんあるようですが、これが最もド派手でしょう。焼山寺には奥の院があり、大蛇を鎮めた洞窟とか弘法大師が設置した仏像があるそうですが、時間的・体力的に無理なのであきらめました。

 帰りは藤井寺へのルートではなく神山町方向に降ります。途中に番外霊場 杖杉庵があります。ここは最初のお遍路 衛門三郎の終焉の地です。衛門三郎の伝説はちょっと長いので省略しますが、とても悲惨な話です。この像は力尽きた衛門三郎の前に弘法大師が現れ、ここで一度死ぬがまた生まれ変わることを告げられた場面です。その衛門三郎が持っていた杖を地面に刺したところ根付いて杉の木になったとの伝説からこの庵の名前があります。

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 神山町へは渓流に沿って車道を下って行きます。

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 バスが1時間に1本しかなくバス停で50分も待つことになりました。まわりには風をよける待合室のような場所は無く、服は汗でびしょぬれでそれが寒風で冷えて凍えそうでした。なんとか風邪を引かないで済んだのは幸運でした。この日の歩数は41000歩。1回目に来た時よりもペースが遅く消耗が大きいような気がしました。やっぱり年のせいでしょう。バスで徳島市内に戻り、この日は終了。

 

 4日目 鮎喰川(アクイガワ)流域をめぐり少し南下する。

 今日は平野部です。札所13番から17番は比較的近い距離にあり、まわりやすいルートとされています。徳島駅前7:10発のバスで一宮札所前まで行きます。久しぶりに明るくなってからの出発です。これより早いバスが無いからです。バス停の目の前が13番札所 大日寺です。道路を挟んで向かい側が一宮神社。寺と神社がセットになっているケースです。神社の方が敷地も広いし建物が大きい。ここからは道しるべに従って歩きます。

 途中にあったお地蔵さんです。上の写真は2018年11月の1回目にお遍路を回った時のもの。下は今回です。12月なのでもう柿はありません。もう来ることはないでしょうからお別れのご挨拶をしました。

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14番札所 常楽寺は巨岩の上に立っています。古代の巨石信仰との関連を思わせます。

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 この先に常楽寺奥の院があったのですが、かなり登らなければならないのであきらめました。今日もガイドブックの2日分を一日で回るので時間がタイトです。奥の院にも巨石があれば巨石信仰との関連は間違いない所だったでしょう。

 15番札所 国分寺奈良時代に全国に設置された国分寺の一つです。屋根の上に大きな宝玉があったり、なんとなく奈良時代の雰囲気のある建物群です。

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 遍路道は家や田畑の間をぬってくねくねと進みます。道しるべを懸命に探しているので退屈しません。放棄された田畑、廃屋があるかと思えば、白・クリーム色を基調とした新しい家があり、のどかな田園でもなければ市街地でもない地域です。

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 16番札所 観音寺は町の中の小さなお寺でした。17番札所 井戸寺は本当に井戸があります。

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 午前の部はこれでおしまいで、鮎喰駅を目指します。もちろん無人駅です。切符売場があるだけマシです。トイレはありません。単線で登りも下りも同じホームに来ます。吹きっさらしで寒い。このコースを歩いていたのは私と若い男性の二人。お互い口はききません。ここまでで19000歩。

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 徳島駅で昼食を取り、駅前から恩山寺行バスに乗ります。2時間に1本しかありません。なお、ガイドブックは徳島市内から恩山寺まで歩く一日コースを紹介しています。バスの中で後ろの席から老婦人に話しかけられました。話がかみ合いません。

婆「風強い~。寒~いね。」

私「徳島へ来てこんなに寒いのは初めてです。これが普通ですか?」

婆「あんたどこから来たん?」

私「〇〇です。」

婆「××かん。いくらかかるん?」

(途中省略)

私「お遍路で回ってます。」

婆「ほう。誰か死んだん?」

 地元ではお遍路の位置づけはおくやみらしい。知りませんでした。

 バス停から恩山寺の山門へは30分もかかりません。ところが、山門からお寺までが遠い。小さな山門が山の中にポツンとある感じです。昔はここまで敷地があるような大きな寺だったのかもしれません。

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 18番札所 恩山寺です。釈迦十大弟子の像がありました。

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 ここから遍路道をたどり立江寺に向かいます。途中牛小屋のそばを通り(伝染病対策のため牛には近寄らないように)、竹林の間の弦巻坂(ツルマキザカ)を通り、車道に出て、一時間ほどかかります。下の写真は弦巻坂。孟宗竹の竹林を抜けます。

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途中の遍路道がなかなかにトリッキーで、この目印を見逃すと迷います。

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19番札所 立江寺 建物自体は新しそうです。

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 立江駅はすぐ近くです。切符売り場もトイレもありません。電車の中で整理券を取って後で清算する方法です。今回乗った列車は車掌さんがいて車内で料金を払いました。今日はこれでおしまい。午後の部は1万歩でした。1日合計で29000歩。

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5日目 2番目に難所と言われるお鶴と太龍に登りさらに南下する

 今日は山道です。焼山寺の次に厳しいと言われている鶴林寺太龍寺に連続して登るタフなコースです。予定は7:30発のバスでしたが、時刻表に無い臨時便が7:05に出ました。25分早くスタート出来てラッキー。しかし、結果的には25分を食いつぶしゴールは予定よりやや遅くなりました。それだけ体力が落ちています。

 バス停を降りると登山口はすぐ見つかりました。集落の中の道を上り、ついで山道を1時間半で20番札所 鶴林寺です。焼山寺の1/3くらいの消耗度です。この山門は仁王さんの代わりに鶴が守っています。どういうわけか板でふさがれて写真に撮れません。

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 山門の鶴は写真に撮れませんでしたが、本堂の前に鶴がいました。くちばしを開いたのと閉じたのと、つまり阿(ア)と吽(ウン)がいます。二つ合わせて阿吽(アウン)です。

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 ここから下って那賀川を渡り、今度は太龍寺に向かって登ります。遍路道に青いミミズが這っていました。学名シーボルトミミズ、俗名カンタローミミズ。西日本の森林に生息する日本最大級のミミズだそうです。普通のミミズの3倍くらいの大きさがあります。こんな生物が日本にいるとは感動です。踏み潰されるとかわいそうなので、木の枝を使って森の中に放しました。

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 前半は渓流に沿ってなだらかな坂を登って行きます。こんなに歩きがいのある道はそんなに無いと思います。前を歩いているのは20代の女性です。体力差は歴然で、みるみる差が開いていきました。日曜日なので歩いている人は何人かいたようです。

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 後半は沢から尾根に登り、そこから寺を目指す急坂です。おとといの焼山寺のダメージが足に残っているのでつらい。こういう時の私の流儀は「20歩登って立ち止まり10回息をついて酸素を取り込む」を繰り返しとにかく前へ進む、いずれはゴールできるというやり方です。

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21番札所 太龍寺の山門です。歩いてくればこそ、山門が立派に見えます。

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 太龍寺から先ほどお参りした鶴林寺が見えます。この写真は2018年の1回目のお遍路の時のものです。今回は杉の枝が伸びて見えなくなっていました。よくぞここまで歩いてきたとちょっと自信がつく瞬間です。

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 太龍寺から阿瀬比バス停まで下る道は何本かあるようですが、ガイドブックは舎心嶽(しゃしんがたけ)から下る「いわや道」を勧めています。廃道となっていたものを近年に復興させた歴史的遍路道だそうです。しかし、この道は急斜面を横切る所が多く、しかもその道がとても細いので怖い。すべったら転落します。途中 反対側から来たベテランらしいお遍路さんとすれ違いました。彼はこの道は距離は近いが危ないと言っていました。別の道をとることをお勧めします。なお、舎心嶽は弘法大師が崖の上で高所に耐える修行をしたとされる場所です。私は高所恐怖症なので最初から行く気はありませんでした。

 阿瀬比バス停に着いたのは14:20。次のバスは15:47で待ち時間は約1時間半。この場所は太龍寺と22番 平等寺との中間点くらいです。迷った末 平等寺まで行ってしまうことにしました。ところがまたしても急坂があました。大根峠越えです。1日に3つ山を越えるのはつらい。「20歩登って止まって10回呼吸」を繰り返して進みます

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 峠を越えて路傍の石仏に感謝。

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 今日の最終目的地 22番札所 平等寺です。到着は15:45頃。阿瀬比バス停でバスを待っていたら、今頃ようやくバスに乗れた時刻です。つらかったが予定変更は正解でした。

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 平等寺の構内です。ここで兵庫から来た若い尼さんとお話しできました。平等寺のご住職は護摩行をしばしば行います。そこで焚く護摩(木片)をこの尼さんのお寺が供給しているそうです。ナラの木を使い機械を使わずにナタで護摩の形にするそうです。杉の木ならこのあたりににもたくさんありそうですが、ナラの木がご住職の指定だそうです。丁度その護摩行が始まるところでした。1時間以上かかる儀式だったので途中で失礼。なお、この儀式はYOU TUBEライブ配信されているそうです。

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 Google MAPではこのあたりにオヤニラミ博物館と言う施設があって清流に棲む淡水魚で絶滅危惧種オヤニラミを飼育しているとありました。時間が無いのでパス。この日は新野(あらたの)駅まで歩き、徳島に戻りました。

 今日の歩数は43000歩でした。次回はさらに南にある23番札所 薬王寺から室戸岬へ向かいます。