旅を歩く

街道を歩いた記録です。興味ある方はご参考に。

第17回 四国お遍路 愛媛編・後編

 5日目 道後温泉を出発。山頭火の終の棲家を通って、今治

 夜明け頃 道後温泉駅に到着。遍路道はまず商店街アーケードから始まります。市街地を歩いていくと、種田山頭火の住んでいた一草庵があります。

「落ちついて死ねさうな草萌える」

 山頭火直筆と思われる色紙がありました。

 山頭火の享年は57歳だったそうです。今の私よりだいぶ若い。辞世の句は「もりもり盛り上がる雲へ歩む」。最後まで漂泊の詩人でした。

 毎日のように感動があるお遍路の旅は素晴らしいです。住宅地の中を進んでいくと丘の森の中に番外霊場 蓮華寺があります。

 蓮華寺からさらに5km 52番太山寺につきます。ただし、門から本堂まで700mもある。本堂に上がる石段の前の空間が石仏がいっぱいあって、なかなかの雰囲気です。

 太山寺本堂は国宝指定です。

 53番圓名寺(えんみょうじ) 52番から3kmほどです。

 圓名寺にはキリシタン灯篭と呼ばれる石碑があります。頭部が十字架に見えないこともないし、浮彫が聖母マリアに見えないこともない。寺が隠れキリシタンを黙認していたとの伝承があるので、そうなのでしょう。

 ここから伊予和気駅へ行き、大西駅まで列車で30分。駅裏に1軒だけあるラーメン屋で食事してから延命寺に向かいます。食事の場所などはGoogle Mapで下調べ済。狭い道を車をよけながら歩いて1時間。54番延命寺に着きます。日曜だったので参拝客が多く観光バスが駐車に苦労して渋滞していました。 

 田舎道を降りて行って最終的には今治の市街地を歩きます。55番 南光坊は市内の真ん中にあります。両隣が神社で寺町のような場所でした。本尊は大通智勝如来というあまり聞かない如来です。調べたら釈迦如来阿弥陀如来の前世の親だった方だそうです。釈迦は歴史上実在の人物とされていますが、阿弥陀如来も人間だった時代があるとは知りませんでした。

 門は仁王ではなく四天王が守っていました。立派な像でしたが写真を取り損ないました。これで今日はおしまい。36000歩 30kmでした。

6日目 今治市街地から郊外へ

 この日は少しゆっくりスタート。今治駅前の直線の道を通勤・通学の人々とすれ違いながら進みます。56番 泰山寺には9時前に到着。既に多数のお遍路が参拝中でした。

 すぐ近くに泰山寺奥の院である番外霊場 龍泉寺があります。ここの名物は正面に掲げられた鏝絵(こてえ)で、左官屋さんが鏝(こて)だけで漆喰を盛って作った名人芸です。

 

ここから今治の市街地を抜けていきますが、迷路のようで大変でした。こんな路地が遍路道です。電子柱に張り付けた矢印が道標です。

 

 また遍路の墓がありました。合掌して先に進みます。

 57番 永福寺です。ここまで来ると郊外になります。

 仙遊寺に向かう道は登りです。振り返って見た今治市街と海峡第2大橋。

 58番 仙遊寺は仁王門を抜けてからも急坂です。たくさんの石仏が見守る中を登って行きます。 

 58番 仙遊寺に着きました。

 仙遊寺から眺めた瀬戸内海。

 ここから海の方へ下っていきます。最初は五郎兵衛坂と呼ばれる急坂です。次の国分寺まで7kmもあります。
 59番 国分寺に着いたのは14:00頃でした。88ヵ所の中に国分寺は4ヵ所あります。飛鳥時代に国家事業として建立されたのが始まりですので大きな寺が多いのですが、この国分寺はやや小規模でした。

 この日は伊予桜井駅まで歩きました。この駅にて韓国人の中高年夫婦と会話しました。これまでも私と同じようなペースで歩いていたので既に顔なじみになっていました。彼らは日本語はほとんど話せず、カタコトの英語で会話することになりました。やはり明日は私と同様に横峰寺に行くつもりとのことでしたが、彼らの計画は伊予小松駅からの直登というハードなものだったので、私は伊予西条駅からバスで登山口へ向かうコースを強く勧めました。というわけでなぜかガイド役をやることになりました。この日は伊予西条駅にて投宿。韓国人カップルは宿の予約は取らずその場で決めるという無謀なやり方でした。しかし、1番から59番までともかく来ているのでなんとかなるようです。この日は26000歩 21kmでした。このくらいに抑えるのが楽です。

 7日目 韓国人夫婦と共に石槌山を眺め讃岐街道を東へ

 バス停で昨日会った韓国人夫婦を合流。まずはアンニョンハセヨです。バスで横峯登山口へ。乗客はお遍路が10人ほど。登山口から横峰寺までの登山バスは不定期です。今日は動くということで、これに乗ることにしました。韓国人夫婦は歩くことを主目的としているようで、なんか不満そうでしたが、もう70歳近いということでバス使用をstrongly recommendして乗りました。登山バスが動かないことも想定していたので、これは楽できました。

 60番 横峰寺です。狭い空間にギシギシ建っています。

 私が本当に行きたかったのは、横峰寺奥の院でもある 番外霊場 星が森でした。前回来た時の石鎚山の光景が忘れられません。今回は残念ながら山は雲の中でした。一瞬山頂が見えたところを撮りました。

 この写真は2019年1月 前回来た時のものです。役行者(えんのぎょうじゃ。飛鳥時代に実在した山岳宗教・修験道創始者)が山頂に蔵王権現が降臨するのを見たとの伝説があります。

 星が森から山道をひたすら下ります。路線バスと登山バス2本乗って登ってきた分を下らなければなりません。

 11時頃 61番 香園寺(こうおんじ)の奥の院到着。奥の院の建屋はありますが、本当の奥の院は白滝と呼ばれるこの小さな滝です。仏教と修験道神道と入り混じった感じです。

 61番 香園寺 はコンクリート製の寺です。中には巨大な大日如来があります。

 香園寺は安産祈願の寺として有名だそうです。寺の壁には安産の証拠として赤ん坊の写真がたくさん貼ってありました。お産は今でもリスクが高く神頼みもしたいでしょうし、安産祈願とお礼参りと2回来るわけで、ビジネスとしてはいいところを突いていると思いました。ここで軽くおにぎりで昼食。

 ここから讃岐街道を東へ進みます。62番 宝寿寺。小さなお寺でした。なぜか風鈴がたくさん。

 63番 吉祥寺 本堂は工事中でした。門前の象の石像が面白い。

 

 64番 前神寺(まえがみじ) これは立派なお寺でした。修験道の本山だそうです。宗徒80万と書いてありました。山伏はそんなにいるのしょうか。回廊があるお寺は珍しい。

 この寺は以前は現在石鎚神社がある場所にあったそうですが、廃仏毀釈で廃寺となり場所を奪われてしまった。そして、現在この場所に再興したそうです。

 不動明王。ミズゴケがびっしり生えていて、白い点々に見えるのは1円硬貨です。5円や100円もあります。硬貨を投げて張り付くと縁起がいいそうです。

 ここで韓国人夫婦と別れました。彼らは伊予西条まで20kmほどを歩きたいとのこと。2日行程を覚悟していたところを、私のガイドにより1日で完了したので感謝してくれました。カンサムニダ アンニョンヒカセヨでした。私は石鎚山駅から1駅ですが列車で伊予西条に戻りました。西日さす石鎚山駅です。もちろん無人駅です。切符販売機は無く、トイレはありますが水洗ではありません。この日は15000歩。約13km 登山バスのおかげでそんなに歩かずに済みました。

 8日目 最終日 三角寺

 夜明け前にホテルを出て朝1番の特急で伊予三島へ。列車に乗っている間に日が昇りました。伊予三島駅から三角寺までの道は迷いやすいので注意して進みます。前回は迷ってかなり遠回りしました。慎重だったのと幸運で今回は迷わず行けました。

 61番 三角寺本堂です。

 本堂裏の石仏群。すべて千手観音でした。

 三角寺境内に桜が咲いていました。今回 3か所目です。その根元にあった大型の苔。

 

  参拝の後 来た道を戻り 伊予三島駅には昼前に着き、帰宅しました。この日は25000歩 約20kmでした。来月 12月は最後の香川県に行くつもりです。今回の旅は天候にも恵まれ、素晴らしい旅でした。

 ところが帰りの新幹線の中で咳が止まらず、夜になって37.5度の微熱ながら発熱あり。翌日 発熱外来を探して病院に行って診察を受けた所、コロナ陽性と診断されました。今 8日間の隔離期間中です。看護婦さんから「お年ですから気をつけて」と言われてしまいました。幸い 重症化せず、熱も下がりました。来月のお遍路・香川編は何とか行きたいのですが、未定です。