旅を歩く

街道を歩いた記録です。興味ある方はご参考に。

第10回 中山道 美濃路 中津川から鵜沼まで

 2019年12月に日本橋を出発して中山道を少しづつ歩いています。今回は岐阜県中津川宿から鵜沼宿各務原市)まで2泊3日で歩きました。桜は散ってしまいましたが、桜草、芝桜、ツツジ、藤 等々 沿道の方々が丁寧に育てていてちょうど見ごろでした。

 途中 恵那から御嵩(ミタケ)間の十三峠道 35kmは旧道がきれいに保存されていて中山道の中でもベスト区間と思います。ただし、線路や幹線道路から離れるので途中でギブアップしたくても離脱ができません。準備と気合が必要です。

 

1日目 中津川から恵那へ

 この日は12kmしか歩かないので、中津川駅にはゆっくりと11時半に到着。駅前で昼食を済ませて出発しました。

 中津川宿です。どこの宿場町も保存の努力はされていて、雰囲気は残っています。

 岐阜県内では、この白と黄色の石を混ぜ込んだ舗装が中山道に使われています。もちろん100%徹底はされていません。それでも助かります。

 甚平坂から眺めた御嶽山です。地元の老人によるとここから噴火(2014年のことと思う)も見えたとのこと。

 大井宿は恵那市のほぼ中心にあります。本陣(大名の宿舎)が残っていました。

 夕方3時半には恵那に到着。この日は12000歩 約13kmでした。

 

 2日目 恵那から御嵩(ミタケ) 十三峠道を歩く。

 今日は40km近く歩くことになります。朝6時にホテルを出発。早朝は気持ちよく歩けますが、午後になると暑い。市街地を抜けると山道に入ります。この区間は道標があるので道に迷う心配はありません。

 十三峠道の入り口です。掲示には「ここから先は売店等は無いので準備をして歩いてください」と書いてあります。駅もありませんし、バス停はあっても便数が非常に少ない。離脱は事実上できないので歩き切る必要があります。高低差も結構あるので、中級者向きでしょう。

 西行塚です。北面の武士の立場も妻子も捨てて出家して旅に出た和歌の天才、西行の墓と言われています。最晩年の西行はこの地が気に入って、死んだらここに葬ってくれと村人に言い残して亡くなったとの伝説があります。今は木が大きくなってしまって景色は見えませんが、昔はこの高台から御嶽山や恵那山が見えたはずです。

 一里塚です。土を盛って作った塚です。

 本来は路の両側にあったそうです。一里塚として保存されている塚はこれまでもあちこちで見てきました。しかし、ほとんどは片側だけでした。本来の姿で保存されている道は貴重だと思います。下の写真は木が邪魔してわかりにくいかもしれませんが路の両側に塚があります。

 これも一里塚で両側にあります。

 これも両側に一里塚です。木があってうまく撮れません。

 この道には石仏がたくさんあります。お堂の前にゴルフボールがたくさんあります。この区間はゴルフ場の中のホールとホールの間を抜けます。コースから距離があるし樹林とネットで防護されていますが、それでも打ち込んでくる人がいます。

 十三峠道はひとまず終わって大鍬宿と言う小さな宿場町があります。

 峠道はまだまだ続きます。琵琶峠です。この石畳は史跡です。

 琵琶峠の石畳です。馬籠峠などのものより凹凸が少なく歩きやすい。

 馬頭様と呼ばれる石仏です。よく見かける馬頭観音は頭が馬の形をした観音様ですが、この馬頭様は頭に長い帽子をかぶっています。おそらく馬を飼う人々が馬の健康を祈った民間信仰であり、仏教と合体する前の姿ではないかと推測しました。つまり、このあたりには馬の飼育を職業としている人が多かったのではないかということです。

 この馬頭様には宝暦3年(1753年)と書かれていました。江戸時代中期です。この翌年宝暦4年には宝暦の大飢饉があったそうです。その前に建てられたのは幸運でした。

 弁財天の池。カキツバタの名所だそうですが、残念ながら早すぎました。

 途中の公衆トイレの中に巨大なアシダカグモがいました。昔 小学校の廊下をバタバタと走っているのを見たことがあります。本当にバタバタと音がしたのを覚えています。その時以来ですので60年ぶりです。巣を作らない昆虫ハンターです。毒は無いそうです。

 路傍の石仏。千手観音らしい。石仏の千手観音は珍しいので一枚。

 坂道の最後は「牛の鼻欠け坂」です。急斜面のため牛が鼻を地面に擦り付けて傷を負ってしまうことからつけた名前です。しかし、長野県の峠道を経験して来たので、それほど急だとは思えませんでした。これで中山道の坂道はほぼ終わりで、あとは京都まで平坦な道になると掲示板に書いてありました。東は碓氷峠、西は牛の鼻欠け坂が中山道の峠道の関門と言うわけです。

 この日は名鉄御嵩(ミタケ)駅をゴールにしました。ここの宿場町の名前は御嶽(ミタケ)宿と言います。ミタケの字が違います。まだ3時前でしたが、少しペースが速すぎてガス欠でした。歩いている人はそれほど多くありません。反対側から来た人が二人、追い抜いて行った人が一人でした。いずれも男性の一人旅でした。

 御嵩駅から可児駅まで名鉄で移動しビジネスホテルに投宿。この日は49000歩、歩数計によると41km歩いたことになっていました。

 

3日目 雨の中を鵜沼宿まで歩く

 名鉄の始発で御嵩駅に朝6時11分着。天気予報は曇後雨だったので早歩きです。

 御嶽宿の道沿いにある鬼の首塚です。ある乱暴者の首をはねて運ぼうとしたところ重くて動かせず、仕方なくここに葬ったとの伝説があります。

 伏見宿~太田宿と国道の歩道を排気ガスを浴びながら進みます。太田橋で木曽川を渡ると堤防の上が旧中山道で、ここで排気ガスからは解放されます。10時過ぎに雨が降り出しました。

 岩屋観音のあたりで本降りになりました。これは岩屋観音から眺めた木曽川

 岩屋観音の内部です。観音像は見えません。このように崖に穴を掘って作った観音堂は各地にあります。

 岩屋観音堂の由来です。日本語が難しいのでそのまま貼り付けます。

 これも岩屋観音から眺めた木曽川です。最近は聞かれなくなりましたが日本ラインとの名称がつけられています。

 ここからは傘をさして歩きました。「うとう峠」の登り口は若干わかりにくい。閉鎖されたドライブインの廃墟の近くから道路と鉄道をくぐって山道に入ります。ここで30代(?)の男性と同行になりました。日本橋からスタートして1日30km歩き続けて2週間でここまで来たそうです。歩く速さが違うので先に行ってもらいました。

 うとう峠は短いがちゃんと山道でした。昨日見た(「牛の鼻欠け坂」が峠道の最後)という掲示には異議ありです。

 ゴールの鵜沼宿です。景観は保存されています。左側の菊川は以前は日本酒の醸造をやっていたそうですが、今は各地から原酒を集めてブレンドしているそうです。

 予定通り昼前に着きました。この日は23000歩でした。多少の雨天でも傘をさして歩けることがわかりました。名鉄鵜沼宿駅から帰宅しました。

 次回は鵜沼~岐阜~関ケ原と進む予定です。日程は未定です。