旅を歩く

街道を歩いた記録です。興味ある方はご参考に。

般若心経/哲学と宗教の間 後編

般若心経は短いお経です。もう少しご辛抱ください。

無無明 (むむみょう ) 亦無無明尽 (やくむむみょうじん )

(空の中には)無明は無く、無明が尽きることも無い

乃至無老死 (ないしむろうし ) 亦無老死尽 (やくむろうしじん )

(空の中には)老死は無く、老死が尽きることも無い

無苦集滅道 (むくしゅうめつどう )

(空の中には)苦集滅道(四聖諦 ししょうたい)も無い

 

 無明とは「ミャウ【無明】〘名〙 (avidyā の訳語) 仏語。存在の根底にある根本的な無知をいう。真理にくらい無知のことで、最も根本的な煩悩。生老病死などの一切の苦をもたらす根源として、十二因縁では第一に数える。」だそうです。般若心経は無明も「無」だと言っています。無知が無いのであれば、知識を持っていることも意味が無いと言いたいのでしょうか。さらに無明が尽きることは無いとも言っています。人間はどこまで行っても無知なのでしょう。老死は無いが、老死は尽きない。論理的には大矛盾ですが、気持ちでわかることにして次に行きます。

 苦集滅道も無い。私はここは大問題だと思っています。般若心経とか法華経など大乗仏典は仏陀の死後 千年くらいの間に編纂されています。果たしてそれらは仏陀が考えたことだったのでしょうか?千年の間に何か変化したのではないでしょうか。仏陀が実際に発したと思われる言葉はとてもシンプルで当たり前のことです。その中に四諦・八正道があります。

 四聖諦の4つの真理とは、苦しみの原因と結果、幸せの原因と結果の4つの真理。仏教は、「すべての結果には必ず原因がある」という因果の道理を根幹として説かれている。従って、人生にやってくる色々の苦しみにも原因がある。そして、幸せになるにも、その原因がある。その4つの真理が、

「苦諦(くたい)」………「人生は苦なり」という真理

「集諦(じゅうたい)」…苦しみの原因を明かされた真理

「滅諦(めったい)」……真の幸福を明かされた真理

「道諦(どうたい)」……真の幸福になる道を明かされた真理の4つ。

頭文字をとって「苦集滅道(くじゅうめつどう)」ともいわれる。

 仏陀はさらに苦を滅するため「八正道(はっしょうどう)」という 8つの実践方法を説いています。

1、  正見(しょうけん)…正しい見解、正しい信仰  世の中、人生において正しい智慧と見解を備えること。

2、  正思惟(しょうしゆい)…正しい考え方、正しい決意・意志  善悪を正しく見極めれる力。きちんと頭で整理し正しい決断をする事。

3、  正語(しょうご)…正しい言語行為  美しい言葉を使う事です。嘘をついたり、悪口をいわない。

4、  正業(しょうごう)…正しい行い 正しい行動をすること。例えば、立ち居振る舞い、社会奉仕など

5、  正命(しょうみょう)…正しい生活方法 規則正しく生活すること。暴飲暴食は避け健康に気をつけること。

6、  正精進(しょうしょうじん)…正しい努力 今まで起こっていない悪は絶対に起こさないように努力する すでに起こっている悪はこれをなくすように努力する 今まで起こっていない善はこれを起こすように努力する すでに起こっている善はこれを更に増大させるように努力する

7、  正念(しょうねん)…正しい意識、正しい注意 正しい考えの元、常に自分を見失うことなく周りに振り回されることのないように常に意識すること。

8、  正定(しょうじょう)…正しい精神統一 正しく坐禅を組み、身体と呼吸と心を落ち着かせることが大切。  

 四諦は苦しみの根源です。八正道がそれらを解決するとされますが、当たり前のことばかりです。モーゼの十戒を連想しますが、十戒の1番目には他の神を敬ってはならないとの強烈なしばりがあります。それに比べれば八正道は誰にでも受け入れられる内容です。

 私は仏陀はこのように当たり前のことを当たり前に説いた人だったのではないかと思っています。しかし、これでは神秘性=有難味が無いので後年の人がいろいろ付け加えたのではないか。仏陀自身も神秘性への入り口を自らの言葉の中に仕掛けておいた。それが五蘊・六根・六境・六識のそれぞれ最後の1字ではなかったか。二千年前のミステリーです。

 そのような仏陀の教えを般若心経は「無」と言ってしまいます。上記の翻訳では「空の中では」と注釈を入れていますが、これは翻訳者による苦心の妥協だと思います。最初に「般若心経は異端のお経ではないか」との私の疑問の根拠はここにあります。

 私の先祖代々の墓のある寺の三回忌や施餓鬼の法要で住職は般若心経を最初に読み始めました。後で住職は個人への供養を行ったと説明しました。般若心経には故人への供養の要素は無いと思います。しかし、前後の脈略を無視して読むと、死後の世界を表現していると思えるような気もします。感覚もなく、目に見える世界もなく、きれいでも汚くもない世界です。さらに無明が無く、老死も無く、苦集滅道も無いとなると、これは宇宙の終わりを意味しているのかもしれない。これはこのお経を読んでいて行の間からふと見えた幻想です。

無智亦無得 (むちやくむとく ) 以無所得故 (いむしょとくこ )

智では無く、得られるものでは無い。得られるものでは無いが故に(考えても分からない、得ようとしても得られない)

 この言葉で前半部が終わります。私は前半部を理屈で考えようとしましたが、理屈をこねても無駄ですよと言われてしまいました。

 

 後半部は祈りと呪文の部です。理屈をこねるのはやめてご紹介だけします。

菩提薩埵 (ぼだいさった ) 依般若波羅蜜多故 (えはんにゃはらみったこ )

菩提薩埵は般若波羅蜜多により、その力により

心無罣礙 (しんむけいげ ) 無罣礙故 (むけいげこ )

心にくもりやわだかまりが無く、くもりやわだかまりが無いが故に

無有恐怖 (むうくふ ) 遠離一切顛倒夢想 (おんりいっさいてんどうむそう ) 究竟涅槃 (くきょうねはん )

恐怖が無く、誤った考えから離れることができ、涅槃の境地に至る。

三世諸仏 (さんぜしょぶつ ) 依般若波羅蜜多故 (えはんにゃはらみったこ )

三世の仏たちは般若波羅蜜多を実践することにより、

得阿耨多羅三藐三菩提 (とくあのくたらさんみゃくさんぼだい )

阿耨多羅三藐三菩提の境地に達する。

故知 般若波羅蜜多 (こちはんにゃはらみった )

従って今知るべきである。般若波羅蜜多とは

是大神呪 (ぜだいじんしゅ ) 是大明呪 (ぜだいみょうしゅ ) 是無上呪 (ぜむじょうしゅ ) 是無等等呪 (ぜむとうどうしゅ )

大いに神秘的で、この上なく偉大で、比べるものが無い 呪文であることを

能除一切苦 (のうじょいっさいく ) 真実不虚 (しんじつふこ )

一切の苦を取り除き、真実である。

故説般若波羅蜜多呪 (こせつはんにゃはらみったしゅ ) 即説呪曰 (そくせつしゅわつ )

般若波羅蜜多の呪文を示そう

羯諦羯諦 (ぎゃていぎゃてい ) 波羅羯諦 (はらぎゃてい ) 波羅僧羯諦 (はらそうぎゃてい ) 菩提薩婆訶 (ぼじそわか )

般若心経 はんにゃしんぎょう

 この中で注目しているのは「般若」の知恵を悟れば、心にくもり(罣礙 けいげ)が無くなり、恐怖や誤った考えから離れることができるとの部分です。

 般若心経に書いてないことは神様や天国ばかりではありません。人助けとか世界平和とか一切記述が無く、言わば自分のことばかりです。そんな「悟り」に何の意味があるのかと言う人もいるかもしれません。

 下の写真は法隆寺五重塔の中にある涅槃図塑像です。仏陀の死に際して高弟たちが泣き叫んでいます。彼らは「悟り」を開いていたはずではないのでしょうか?

 悟りを開いていても喜怒哀楽はある。苦しみもある。罣礙​(けいげ)(思い込みから生まれるこだわり)が無いだけなので、より純粋に苦しみ、悲しみを受け取ることになるのかもしれません。 

 般若というのは「最上の知恵」であると共に「人間存在の真理」とも訳せると思います。このお経は真理を悟れば「阿耨多羅三藐三菩提」つまり悟りの境地に至ることができると説きます。これはとても楽観的かもしれません。真理はいつも素晴らしいことなのでしょうか?真理が良いことであると信じて修行せよとこのお経は言っています。そのあたりが般若心経は哲学ではなく宗教であるということなのでしょう。

 最後に般若心経の最初に2行に出てきた強烈な一言 度一切苦厄 (一切の苦しみから解放された)についての私なりに考察してみます。人間にとって最も悲しいこと、最も苦しいことは、生きていく意欲をなくすことだと思います。我々の世界が「空」であり、我々自身も「空」であるならば、生きることをやめる理由もありません。一切の苦しみからの解放は、私の理解力・想像力を越えてイメージすることすらできませんが、少なくとも最大の苦しみからの解放はおぼろげながらわかるような気がします。

 般若心経を考えながら、心の旅をしてきました。般若心経が言う涅槃とか阿耨多羅三藐三菩提はゴールではなさそうです。この旅を終えて我々はまた毎日の生活、そして課題に向き合うのだと思います。追い詰められた時のために呪文だけは覚えておきます。

羯諦羯諦  波羅羯諦  波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 

(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい ぼじそわか)

 

 なお、この般若心経に関する考察は私の妄想を集めた別ブログ「百万年の船」に書いたものです。ややこしいことばかり書いたのでアクセス数が極端に少なく、ちょっとでも見てもらうためにここに移してみました。

百万年の船 (hatenadiary.jp)