旅を歩く

街道を歩いた記録です。興味ある方はご参考に。

第8回 四国お遍路 土佐の高知を行く 後編

 文中に出てくるガイドブックとは JTBパブリッシングの「大人の遠足シリーズ 四国八十八ケ所を歩く」のことです。

後編では足摺岬を巡り、松尾峠を越えて愛媛県に入ります。

高知の5日目 足摺岬を巡る。

 足摺岬のほんの一部だけ回りました。本当はもっと見どころはたくさんあるようです。

 中村駅前から8:20発のバスで足摺に向かいました。これが始発です。乗客は3名のみ。観光一人旅の高齢の男性と途中まで行く地元の老婦人。途中の海岸線の景色はかなりすごい。じっくり見れば面白そうだが、バスはほとんど停留所に止まらずガンガン飛ばして行きます。さらに集落に入るとすれ違うことができないような細い道に入って行きます。1時間20分後 足摺岬のかなり手前の臼碆(うすばえ)停留所で降りました。すぐ近くに竜宮神社があります。亜熱帯植物に覆われた短い参道を抜けるといきなり視界が開けます。この光景のド迫力は私の撮影技術とカメラの性能ではとてもお伝え出来ません。少なくともドローンと広角レンズが欲しい所です。

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 竜宮神社自体は小さな祠です。その周りの岩山がすごい。

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 周りをぐるりと茶褐色の岩山がパラボラアンテナのように取り巻いていて、そのパラボラの焦点に神社があります。

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 古代から聖地とされるのも当然と思いました。来訪者は私一人だったのでパワースポット独り占め状態でした。バス停に戻り足摺岬に向かって歩きます。途中 唐人駄場遺跡へ向けて左折して坂道を登ります。

 唐人駄場遺跡は縄文前期の巨石文化遺跡です。その周辺は元々巨石の多いところのようです。馬を飼う牧場があって、馬が除草してくれていました。写真は唐人駄場の駄馬(失礼)。

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 見たところ自然石に見えますが、岩に含まれる地磁気の痕跡を調べると人為的に動かしていることがわかったそうです。縄文式土器も出土しています。

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 またしても来訪者は私一人で、パワースポット独り占め。

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 下の写真はストーンサークルだそうです。東北地方に残っているものとはだいぶ違います。

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 登ってくる途中に遍路道入口の立札を見つけていたので、来た道を戻って遍路道を下ることにしました。ところどころ石畳が残っていて歴史を感じる道でした。

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  足摺岬に向け舗装道路を歩きます。距離は7kmほど。途中で白山洞門に立ち寄りました。波の浸食でできた洞穴です。

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 12:30頃 38番 金剛福寺に着きました。参拝者は私を含め3名。少ししか歩いてこない私でも多少は感動するのだから、長い距離を歩いてきた遍路はさぞかし感動したことでしょう。

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 境内には岩がたくさんあって独特な光景です。

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 金剛福寺は補陀洛(ホダラク)渡海が行われたところででした。ホダラク信仰は即身仏と並ぶ異形の宗教です。西方浄土を目指し櫂の無い船で海に出る、言わば宗教的自殺です。

 バスまで少し時間があったので亜熱帯林の中の遊歩道を散策しました。足摺岬室戸岬とは異なり海岸が断崖絶壁で波打ち際まで行けません。その絶壁の上が遊歩道なので、樹木が茂って断崖は見えないのですが、やはり足がすくみます。植物には見慣れたものは全くありません。樹木の間を小鳥がたくさん飛び回っています。これも見慣れたものはいません。

 足摺岬から中村までバスで2時間もかかります。乗客は2人。一人は途中で降りたので、ほとんど私一人でした。下の写真はバスの窓から撮った西日に照らされた四万十川です。思ったより大きな川でした。この日の歩数は24000歩でした。

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6日目 最終日 松尾峠を越え愛媛県に入る。

 夜明け前 中村駅 6:23発の列車で宿毛に向かいます。ガイドブックでは途中 平田駅で降りて延光寺に参拝し、そこから歩いて松尾峠を越える行程を推奨していますが延光寺は4日目に済ませているので早く進むことができます。東宿毛駅で降りました。時刻は6:54。日出前だが十分に明るい。駅の温度計はー2℃を表示していました。おそらく今季最低でしょう。

 松尾峠は江戸時代までは土佐と伊予を結ぶ幹線道路だったそうです。しかし、近年の都市計画で下の方の道はほとんど市街地化して、登り口が大変わかりにくくなっています。ガイドブックに丁寧に書いてあるので、これに従ってなんとか迷わずに道に入ることができました。写真にあるように霜で真っ白になった道を進みました。

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 途中 集落を2つ抜けます。ここの名物は文旦という大粒のミカンです。グレープフルーツの原種で、味も似ています。お土産にしたいところですが、荷物が重くなると困るので買えません。歩き旅の短所です。

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 途中で罠にかかった猪がいました。猪は夜行性なので道中に出会うことは滅多にありません。まだ小さくてかわいそうだが逃がすわけにはいきません。最近 増殖しすぎて害獣になっています。せめての供養に人間に食べられてくれと祈りました。

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 松尾峠から眺める宿毛湾。これでお遍路の旅は太平洋からお別れになります。

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 松尾峠に到着。まだ10:30。このお堂は大師堂と呼ばれています。かってあったものは移転していて、これは最近建てられたもの。ここから愛媛県に入ります。

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 松尾峠に藤原純友の居城の矢印があったので行ってみました。この人は平安後期 平将門が関東で挙兵したことに呼応して西国で兵をあげた人です。水軍を駆使して戦ったが、仲間に内通者が出て敗れたとされます。その後、家族をこの城において九州に逃げたが結局討たれ、妻もここで自死したと記されています。城跡のはずですが土塁・石垣、堀の痕跡は見当たりません。城と言っても屋敷か隠れ家のようなものではなかったかと思われました。平将門はその後神様になって神田明神に祭られていますが、この人は神様にはなっていません。

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 愛媛県側に入ると道は大変きれいに整備されています。経済力の差か、やる気の差か。

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 山道を降り切って一本松の集落に入ると、道しるべが要所にあり、それをたどって歩くことになります。途中で松尾大師がありました。もちろん建物は新しいものですが、かっては松尾峠にあったものを移したものです。

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 最後は僧都川の堤防を歩いて行くきます。川風が冷たい。僧都川を渡る橋から見た40番 観自在寺です。列車を使って楽して来たとはいえ、今日はここまで37000歩、約30km歩いてきました。

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40番 観自在寺 1番札所 霊山寺から最も遠い所にある札所だそうです。

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 お寺は新しく、いろいろ願い事をかなえてくれるそうで庶民的な雰囲気があります。

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 午後2時発のバスで宇和島駅まで行き帰路につきました。このバスも2時間近くかかりました。この場所は遠いのです。バスの乗客は最初から終点まで私一人の貸し切りでした。

 今回の旅は寒さには閉口しましたが、好天に恵まれたのは幸運と言うべきでしょう。

 愛媛県香川県は11月以降に回ります。オミクロン株が大変な勢いで拡散しているので、しばらくは遠出を控えます。