旅を歩く

街道を歩いた記録です。興味ある方はご参考に。

第14回 3年がかりの中山道 やっとゴール

 2019年12月に東京・日本橋を出発して、途中中断などあって3年がかりになりましたが、やっと京都・三条大橋に到着できました。今回の経路概略です。私の経験からGoogle Mapの距離・時間表示は実際より短めに出る傾向があります。これよりも余裕をもって計画を立てなければなりません。

 車であれば10~20kmの誤差は大したことではありませんが、歩き旅ではオオゴトです。

1日目 醒ヶ井(サメガイ)宿から愛知川(エチガワ)宿まで 

 米原駅で乗り継ぎのホーム番線を間違えて予定の列車に乗り遅れ、次の列車まで誰もいないホームで45分も待つことになりました。

 醒ヶ井宿は清流に沿って宿場が並んでいる美しい宿場町です。奈良井宿妻籠宿、馬籠宿などと並んで中山道の宿場町のトップグループに入ると思います。

 醒ヶ井出発は11時頃。ここから中山道は国道と合流したり分岐したりしながら進みます。この国道が曲者で歩道が無いところがかなりあり、大型車両が来ると接触しそうで怖い。下の写真は番場宿を過ぎたあたりで旧道に入り後ろを振り向いたところ。正面は武甲山、右の土手は名神高速です。こういうところなら問題なく歩けるが、そうでないところの方が多い。

 暑さは想定外でした。2,3日前まで12月並みの寒さだったのが、この日は30度を越え、この温度変化に体がついて行きません。そのうえトレーニング不足がたたって足の裏に水ぶくれができました。靴擦れではありません。スロージョギングとウォーキングで調整してきましたが、30km程度の長距離歩きで足の裏を鍛えておくべきでした。今更反省しても遅い。一歩一歩が痛くて、汗が流れて目に沁みる悲惨な旅になりました。

 鳥居本(トリイモト)宿の手前で琵琶湖が見えます。かっては望湖楼という大きな茶屋があったそうです。中山道で琵琶湖が見えるのはここと大津の瀬田の唐橋くらいです。

 鳥居本宿のシンボル 赤玉神教丸の製造販売所。下痢・食あたりの薬だそうで、今でもこの家の裏で製造しているとのこと。GMP(Good Manufacturing Practice)の厳しいルールなど医薬品の承認制度を漢方薬・生薬でクリアするのは相当大変だったと思います。建屋はとても立派なものでした。

 この日の午後は単調なほぼ直線コースです。とにかく暑かった。

 愛知川(エチガワ)宿に着いたのは16時過ぎでした。歩数は約36000歩。距離にして約30kmでした。愛知川駅から彦根駅まで列車で移動し駅前のビジネスホテルに投宿。シャワーとビールが有難かった。

 2日目 愛知川から草津まで

 彦根駅発の始発6:13で愛知川へ移動。そこから歩き始めましたが、足裏の痛みは最初からひどく、この日は難行苦行になりました。立派なゲートがありますが古い家並みはそれほど残っていません。

 愛知川の川岸に立つ睨み灯篭。江戸時代はここに橋は無く、歩いて渡る時の目印にしたとのこと。川の両岸にあります。

 途中にあった伊勢道との分岐点。見たところ伊勢に向かう道は新幹線や高速道路で分断されており、この道をたどるのは難しそうでした。

 武佐(ムサ)宿の手前にある奥石(オイソ)神社です。背後の森は老蘇(オイソ)の森という神域です。神社と森と名前は同じなのに字が違います。祭神は天見屋根命(アメノコヤネノミコト)。

 神道の神は八百万(ヤオヨロズ)と言われるほどたくさんいますが、大きく分けると国津神(日本古来の神、オオクニヌシなど)と天津神高天原から来た神、アマテラスなど)に分かれます。この神社の神様は天津神藤原氏の祖先神だそうです。

 下は若宮神社。奥石神社から500mくらいのところにあります。奥石神社の関連です。

 関西に来ると神社の神様がその土地特有の神様になるようです。天神様や八幡様ばかりの関東とは様子が違います。

 神話には実在のモデルがいたのではないかと思います。アマテラスの弟で暴れん坊のスサノオ国津神でありながら天津神の道案内をした裏切り者の猿田彦タケミカヅチに相撲で負けて降伏した諏訪の神タケミナカタなどとても人間臭い。ただし、ヤマトタケルのように複数のモデルを合体させて一体にしているようで、それが彼らの性格を分かりにくくしています。あくまでも私見です。

 武佐(ムサ)宿です。まだ10時前です。行程の1/3しか進んでいません。

 武佐宿と守山宿の間にある鏡(カガミ)宿にある鏡神社です。この宿は宿場間の間隔が長すぎるために作られた合いの宿です。鏡神社の祭神は天日槍(アメヒノホコ)。新羅の王子で実在の人物が神格化されたものとされています。新羅の人々がこの地に来て陶器を作っていたとの記録があります。このように国津神でも天津神でもない神様もいます。

 また、鏡集落には義経伝説がたくさんあります。鏡神社も義経が源氏再興の願をかけた場所とされていますし、元服したとされる場所も近くにあります。

 武佐を過ぎて守山宿~草津宿までは旧道を進みますが、幅が狭いのに車の往来が非常に多く、しかも時々自転車が来るので、それらを避けながら歩くとなかなか前へ進みません。午後になって暑いし、足は痛いしで、アメリカ国境に押し寄せた中米の難民の気持ちを想像しました。しかし、私はゴールできればシャワーもあるしビールもあるし冷房の効いた部屋もある。それらが無かったら本当に地獄だろうなどと考えながら歩いていました。

 下の写真は今宿の一里塚です。ちゃんとした形で残っていました。ただし、本当は道の両側にあったはずですが、残っているのは片方だけでした。

 草津市内に入ると道は迷路のようになります。しかし、中山道が迷路だったはずはなく、新しく作られた線路や道路で分断された結果、迷路になっているのです。

 草津市内のホテルに投宿。歩数は約48000歩。距離は約40kmでした。こんなハードなスケジュールは立てたくないのですが、日数を短くして旅費を節約しようとするドケチ精神が災いしています。

 3日目 草津から京都までそしてゴール

 当初の計画ではゆっくり出発して大津で泊まり、翌日京都まで歩くはずでした。ところが翌日の天気予報が雨でした。そこで、またしても無理して一日で京都まで歩いてしまうことにして夜明け前に出発しました。

 草津市内に小汐井(オシオイ)神社。夜明け前なので社殿内に点灯していました。

 草津市内にある中山道東海道の合流地点。まっすぐトンネルをくぐってくるのが中山道、右から入ってくるのが東海道。ここから先は東海道になります。中山道はここで終わりなので、ここでやめようかと誘惑にかられますが、意地で前に進みます。

 草津市内にある立木神社。祭神は鹿島の神であるタケミカヅチです。この神は奈良の春日大社の神でもあります。古事記では天津神として日本平定のために戦った武神になっていますが、おそらくは利根川河口付近に住む縄文人の神ではなかったのでしょうか。これも私見です。

  迷路を通り抜け瀬田の唐橋を渡り大津市に入りました。瀬田川に架かる橋ですが、右側はすぐ琵琶湖です。ちょうど渡り鳥が通過中でした。

 大津市内もまた迷路でした。下の写真は大津市内の和田神社。祭神はタカオカミノカミ。すごく難しい字なので漢字は省略。京都の貴船神社の神様でもあり、水神のようです。 

 この写真は石坐(イワイ)神社。祭神がたくさんいて海神豊玉比古(ワダツミトヨタマヒコ)が古いようだが、八大龍王天智天皇も祭っています。なお、天智天皇の陵墓は大津の隣の山科にあります。

 大津宿の風景。ちょっとだけ宿場町の雰囲気が残っています。この近くに大津事件の碑がありました。1891年(明治24年)に来日中のロシア皇太子が日本の警察官に切られて重傷を負うという大事件で、その頃は日本はロシアと戦争する国力は無く、天皇まで見舞いに来たそうです。

 大津の市街地を抜けて京都盆地へ入る「小関越え」です。この道は裏道です。表道は「逢坂越え」で国道一号線が通っています。今度こそ最後の峠越えです。

 小関越えを越えて山科を過ぎて旧東海道が少しありますが、だいたいは三条大通りを行きます。ゴールの前に少しだけ京都観光をすることにして三条大橋に近い南禅寺に向かいました。三条大通りにある「ねじりまんぼ」です。「まんぼ」とはトンネルのこと、「ねじり」とはレンガが渦巻き状に積んであることからこの名前が付けられています。ここが南禅寺への近道でした。前を歩いているのは観光客です。貸衣装の和服で京都を歩くのがトレンドらしい。

 南禅寺の大門です。石川五右衛門がこの上から「絶景かな、絶景かな」と叫んだとされる巨大な建造物です。

 南禅寺本堂です。これも巨大です。日曜日だったこともあり観光客が大勢いました。白人のグループツアーも何組かいました。

 南禅寺にある琵琶湖疎水の水道橋。出来た当初は違和感があったかもしれませんが、今はここの庭園になじんでいるように感じました。

 ここがゴールの三条大橋です。残念ながら工事中でした。

 三条大橋についた刀傷。新選組池田屋騒動の時につけられたそうです。誰がやったのかはわかりません。

 ここから京都駅まで歩く計画でしたが、足が痛すぎて断念。京阪三条駅から列車に乗りました。この日は約45000歩 約37kmでした。

 中山道歩きは最初と最後に大変苦しみました。実は最初の日本橋~高崎間は足のダメージが今回よりひどくて、中山道とJR高崎線がほぼ平行していることをいいことに、何回も列車に乗ってしまいました。ここは将来歩き直したいと考えています。また、ポイントを選んで「2回目の中山道」を考えています。その時は全部歩くことにこだわらずに列車・バスを活用して歩く距離を1日20km程度に抑えたいと思います。

 めげずに歩き旅を頑張ります。来月は四国お遍路 後半の部 愛媛編です。